「なんちゃって訪問看護」

2022年11月03日

昨年末頃から義母の体調が思わしくありません。
当初は春を迎えることも難しいのではないかと思っていましたが、食欲が出て来てからは低空安定が続いています。
というわけで、私は時々パートナーの実家に「なんちゃって訪問看護」に通っています。
最初の頃は毎週欠かさずに行っていたのですが今は行ける範囲で行く感じで、昨日も久しぶりに行ってきました。

歩行量が著しく少なくなって筋力も低下していることもあり脚がパンパンに浮腫んでいるので、昨日は脚の各関節を軽く動かしながら、皮膚を撫でる程度の軽いマッサージをしてきました。
マッサージをすると少し皺が出てきて、循環が改善している感じがします。
マッサージをしながら、「看護とは手と目でするものだ」(「手」+「目」=「看」)と教えられたことを懐かしく思い出しました。
暖かく天気の良い一日で、私にとってもとても良い時間でした(⋈◍>◡<◍)。✧♡

訪問看護と言えば、今日はとても興味深いお話を聞かせていただきました。
80代後半の方が教えてくださったのですが、その方は10代の頃埼玉の訪問看護の発祥の地と呼ばれる(と私は認識していますが)秩父で准看護婦として働いていたそうです。
まだ終戦後間もないころで、地域の住民が100円ずつ出し合ってスタートした診療所だったそうです。
オープンに合わせて看護師を募集していて、お兄さんに勧められてそこで働き始めたそうです。
診療所はとても熱心に往診をしていて、当時は高くて車を買うことができなかったので、医師がバイクを運転して往診をしていたそうです。
看護師はその後ろに乗って、片手でリンゲル液を抱えての往診だったそうです。
時にはガタガタ道で放り出されて脳震盪を起こすこともあったような、過酷な条件の中を往診してきたそうです。
看護師だけでリンゲル液を刺しに訪問することもあったそうで、それがやがて今のような訪問看護へと発展してきたのだと思うと先人の貴重な経験をお聞きしたようで、深く感動してしまいました。
「当時は医師に言われるままに動いていただけだった」と話してくださいましたが、そういう時代も経ながら、看護が医師から独立した一つの専門職として専門科学として発達してきた歴史を思うと、更に感動が深まってしまいました💦

准看護師の資格は国家資格の看護師とは違い、都道府県知事が免許証を交付します。
その方の准看護師の資格証は、なんと吉川市出身の元知事・大沢雄一さんが発行したものとのことで、またまたへ~っ!と感動してしまいました。
看護は今、決して医師に言われるままに動くだけの仕事ではないと思いますし、独自の専門性を持ち、学問的にも医学も含みながらも独自の専門性を持つ科学へと発達したものだと捉えています。
が、その過程の中にこういう時代があったということに感動しますし、先人たちのご努力に敬意を表したいと思います。