「慰安婦問題を演劇で表現する意味」

2023年04月05日

舞台『あの少女の隣に』(くるみざわしん作 川口龍出演)を3回も観たのですが、未だに感動が消えません。
3月24日号の週刊金曜日には3ページにわたり、作者・くるみざわしんさんへのインタビュー記事が掲載されていました。

舞台『あの少女の隣に」は「慰安婦」を扱う芝居ですが、「慰安婦」にされた女性の悲劇を描くのではなく、「慰安婦」という制度?をつくった側を描く作品です。
「慰安婦」問題をこんな風に描く表現方法があったのか!というのはまさに衝撃で手厳しく、適切な言葉が見つけられませんが、一方で個人の尊厳に対する深いまなざしが伝わってくるというか・・・。そんな作品です。
今回掲載された記事を読むと、改めて作品の凄さがわかります。

「日本で『慰安婦』問題が表現されてこなかったのは、表現しないでも生きていける世界に私たちが組み込まれているからで、その世界から出ないといけない。そのとき、その世界を叙述してきた言葉とも闘わねばならない」。
「『慰安婦』問題でも、それを語る言葉がそもそも日本語にはないわけです。実相をそのまま伝える言葉がなく、戦争にまつわる苦労話で終わってしまう」。
「それは日本人の『被害者』を語るときにも通じている。・・・(中略)悲劇的な死に心を寄せて、気の毒だと思うところで止まっているような書き方じゃだめだ。その死の実相はいかに複雑で悲しめないものであるかを書くことが大事」。
「『慰安婦はそれを強いた側のまなざしが生む言葉であり、自由意志の商行為のように用いられる『売春』も実態は『生奴隷』だった。私たちはそうやって言葉にはりつく概念と認識を引きはがさなければ、世界を見つめ直せない」。

芸術とは何か、表現するとはどういうことか。
この作品の芸術としてのレベルの高さがよく分かります。

19年に『忠臣蔵・破エートス / 死』という作品で文化庁芸術祭演劇部門新人賞を受賞した際のスピーチも凄いです。
「現行法令にセクハラ罪はないとか、首相夫人は『私人』だとかいう閣議決定はナチスもしなかった。この国の文化状況はナチス以下です。言葉がもはや言葉ではない。それでも私は創作を続ける」。

演劇を通して社会問題を表現していく、強い覚悟のようなものを感じます。
この方の作品を、もっともっと観てみたいと思う私です。