『ソ連兵へ差し出された娘たち』

2022年04月28日

つい最近読み終えた本は『ソ連兵へ差し出された娘たち』(平井美帆著 集英社)です。

数年前にNHKで『告白ー満蒙開拓団の女性たち』というドキュメンタリー番組を観ました。
岐阜の黒川開拓団が満州から引き上げるにあたり女性たちをソ連兵に「接待」に出し、それによって開拓団の身の安全が保障され、無事に帰還できた・・・。
めちゃくちゃ大雑把に言うとそんな番組でした。
岐阜出身の私としては、「黒川」「白川」「下呂」「加子母」「田瀬」と知っている地名が次々と出てきて、「そんな身近なところで、そんなことが起きていたのか!」と、正直とても驚きました。

この本は「接待」に差し出された女性たち一人ひとりに焦点を当てています。
「接待」に差し出されたのは、「未婚」=誰の所有物でもない16歳以上の女性たち。
否応なく開拓団からの人柱としてソ連兵に差し出された女性たちが受けたのは、執拗なレイプ、性暴力に他なりません。
それを彼女たちに強要したのは「男性」たちであり、実は「接待」というぼやかした言葉で「性暴力」という事実をぼやかしているにすぎません。
しかも人柱にされた若い女性たちにはただの一度も開拓団の方々から感謝の言葉も謝罪も受けてないどころか、団員の口からは「ソ連兵のお尻を追いかけていた」「(差し出されるのが)好きだった」と心無い言葉を浴びせられ、伴侶となった男性も「なぜそんな女性と・・・」と侮蔑の対象とされます。
同性からでさえ、「汚された女性」と見られます。
あまりにもひどい侮辱。
これこそまさに、性暴力の二次被害に他なりません。
被害を受けた女性たちは、生涯にわたり苦しみ続けました。
しかもその時代は「性暴力」とか「PTSD]とかの認識もなく、人権意識もまだまだ未成熟で、苦しみの正体を十分言語化することのできない環境の中で、もがき苦しみ続けたのではないかと思われます。

「魂の殺人」と呼ばれる深刻な被害を受けた女性を、「減るもんじゃない」と男性たちがにやけ笑いをする社会。
こうした風潮が、「我が国が未だ、男女平等において国際社会で大幅に遅れを取っていることとと無縁ではあるまい。現代においてもなお、普段は良識ある人々の奥底に眠る女性観こそ、もっとも厄介な喪にに私には思えた」と著者は語ります。本当にその通りだと感じました。

来月、両親の永代供養のためもう一度岐阜に行く予定です。
その時ほんの少し足を延ばして、黒川の「乙女の碑」を見てこようかなぁと思っています。