『下流老人』を読みました

2020年03月19日

市内の公共施設が利用停止となり、予定していた会議・会合のほとんどがキャンセルとなりました。
この機会にとにかく本を読んで、自分の力を蓄えようと思っています。
昨日読み終えたのは『下流老人 一億層老後崩壊の衝撃』(藤田孝典著 朝日新書)です。

『下流老人』とは藤田さんが作り出した造語で、「文字通り、普通に暮らすことができない“下流”の生活を強いられている老人を意味する」としています。
現在の高齢者だけでなく、近く老後を迎える人々の生活にも貧困の足音が忍び寄っており、「一億総老後崩壊」ともいえる状況を生み出す危険性が今の日本にあると書いています。

そして、「下流老人」の定義を「生活保護基準掃討で暮らす高齢者及びその恐れがある高齢者」としています。要するに国が定める「健康で文化的な最低限度の生活」を送ることが困難な高齢者とのことです。

下流老人の特徴①は、収入が著しく少ないこと。
平成22年の内閣府のデータで、65歳以上の相対的貧困率は22.0%、高齢男性のみの世帯では38.3%、高齢女性のみの世帯では52.3%にも及び、一般世帯よりも高齢者世帯の方が貧困状態にある人々が多いそうです。
一般的に「高齢者は金持ち」とのイメージがありますが、それは明らかに違うと藤田さんは指摘しています。

下流老人の特徴②は十分な貯蓄がないこと。
そして③の特徴は、頼れる人間がいないこと(社会的孤立)としています。
下流老人の問題は、「高齢者だけでなく全世代の国民にかかわる問題で、放置すれば親子二世代が共倒れになる危険性があり、また高齢者や他者に対する尊重の念やこれまでの価値観が崩壊する恐れもある。更に現役世代の消費が抑制され、景気に影響を及ぼしたり、少子化を加速させる要因にまでなるのでは」と書いています。
無計画で放蕩な暮らしをしてきた人ばかりが下流老人になるわけではなく、元サラリーマンなど一般的な労働者、中には会社の役員や公務員も下流老人に陥ることがあるとして、そのパターンについても挙げています。
①病気や事故による高額な医療費の支払い、②介護施設に入所できない、③子どもがワーキングプアや引きこもり、④熟年離婚、⑤認知症で詐欺被害。

老後に向けて蓄えておいた預貯金も、こうした問題を前に底をついてしまい、そして下流老人に陥っていくという道筋がどんな人にも起こり得るということを指摘しています。
そして子ども世代との同居率の低下、勤労世帯の4割は老後資金がない現状、非正規雇用の増加や未婚率の増加が、今後さらに下流老人を増やしていくと警鐘を鳴らしています。

高齢者の下流かが進み、これからも増えていくことが予測されているのに何の対策も講じられていません。
そして「自己責任論」がまかり通っています。
こうした状況に対する藤田さんの視点には、本当に学ぶべきものがあります。

今本当にこの社会にまかり通っている「自己責任論」に対して藤田さんはこう言っているのです。

「それならばわたしたちが支払っている税金とは、一体何のためにあるのだろうか。税金を、株式か何かの投資と同様に捉えてはいないだろうか。つまり、たくさん納税をしている人(株式をたくさん買っている人)こそ、より多くの利益を還元されるべきだし、納税をしていない人やまして国(会社)に損害を与える人間は死んで然るべきだ、といった恐るべき思考に陥ってはいないだろうか。
端的に言えば税金とは、『国民の健康で豊かな生活』を実現するために、国や地方公共団体が行う活動の財源となるもの」である。それに照らせば、生活保護による国民の救済は、まさに金の使い道として本義と言えよう」。
「税の第一義的役割として富の再配分が掲げられているとおり、税金を多く支払ったからより手厚い公共サービスが受けられるわけではないし、最低限の税金しか支払っていないから最低限の公共サービスしか受けられないという考え方は、そもそもおかしいのだ」。
「本来『責任』と『権利』は別次元のものである。たくさん働いてお金持ちになるか、ほどほどの生活でいいのかは、個人の責任に応じた自由だ。しかし『健康で文化的な最低限度の生活を営むこと』や『個人の生命が守られること』は、すべての人に与えられた『権利』である。それを守るために税金の存在意義があるということを、私たちは理解しなければならない。私たちの税金をたくさん使う者は『悪』であり、容認しがたいという意識を根本から変えなければ、社会保障の存在意義自体を失うと言ってもいいだろう」。

「税の二重払い」「納税者の納得が得られない」、こうした言葉をこの間議会の中で何度か聞いてきました。
発言したのは執行側の場合もあれば、議員のときもありました。
この言葉を聞くたびに納得のいかない思いを抱えつつ、どう反論したら良いのか悶々としていました。
でも、藤田さんの言葉の中に答えを見つけることができました。
貧困の救済はそもそも国の義務であり、税金とは「富の再分配」を最も直接的に保障するものなんだと、当たり前のことですが言語化して理解することができ、本当にすっきりしました。