あれから10年

2021年03月11日

今日は3月11日。
東日本大震災から10年が過ぎました。


当時、長男が仙台で暮らしていました。
次男の高校の卒業式の日だったので、たまたま自宅にいた私はテレビに映し出される映像から目を離すことができず、テレビのこちら側で「早く逃げて」とただただ祈るだけでした。
夜遅くなって、息子から「生きている」とメールが来たときは本当にホッとしました。

一方で、確認されているだけでも1万8425人のいのちが失われたという事実、地震や津波で亡くなっただけでなく、震災関連死と認定された方も3700人以上いらっしゃり、合わせると東日本大震災での死者は22,000人に上るという事実に、本当に胸が痛みます。
亡くなられた方々のご冥福を、心からお祈り申し上げます。
また、今もなお非難生活を余儀なくされている4万人近いみなさまに、心からお見舞いを申し上げます。

震災のあと、5月になって仙台に行きました。
お風呂に入らせていただいたり、ごはんをご馳走になったりと、息子がかなりお世話になったお宅にもご挨拶に伺いました。
そのお宅は津波被害を分けたと言われる仙台東部道路・三陸自動車道の内陸側にあり、幸いにも家は無事でした。
近くの小学校に避難して、津波の様子をずっと見ていたこと。
同級生が何人も亡くなったこと。
あの辺りでは、親や兄弟や親せきや大切な友達・・・、みんな誰かを失くしているということ。
何の被害も受けなかった人など、一人もいなかったこと。
そんなお話を伺いました。
そして高速道路の向こうとこっちでは全然景色が違う、ぜひその目で見ていってほしいと言われ、息子に案内してもらって被災したまちの様子を見させていただきました。
言葉に尽くせない被害の現実、亡くなったたくさんのいのち、生きていることの尊さを改めて学ばせていただように思っています。

当時息子から聞く話は、見知らぬおじさんが「大学生?水の貯え、あるか?」と2リットルのペットボトルをまるまる一本くださったとか、市場が再開されたとき人が殺到したけれど、みんな少しずつしか買わず、後の人もちゃんと買えるように配慮し合っていたとか、温かいお話をたくさん聞きました。
極限状態のような状況の中で、いろいろな人の温もりを感じながら過ごせたことは、息子にとっては幸せなことだったと思います。


翌日になるとテレビの報道は福島第一原発の報道が徐々に増えていきました。
このままでは、もしかしたら大規模停電が起きるかもしれないという状況の中で、当時訪問看護ステーションの管理者をしていた私は、電源を利用する医療依存度の高い在宅療養者のいのちをどう守るのかという問題に、不安が集中していきました。

当時、在宅人工呼吸器の内臓バッテリーはせいぜい1時間程度でした。
予備バッテリーを購入している人もいれば、購入していない人もいました。
自分の力だけで痰を排出することができない方が使用する吸引機も、充電式のものを使っている人はほとんどいませんでした。
在宅酸素療法は電気を使って空気中の酸素を濃縮して患者さんに送るタイプのものと、電気を使わない液体酸素と2つのタイプがありましたが、利用者さんはほぼ半々の割合でそのどちらかを使っていました。
停電によってこうした医療機器が使えなくなるとしたら、利用者さんのいのちの保証ができません。
更にその翌日の日曜日、私は朝からスタッフと二人で万が一の停電対策に奔走したことは忘れられない記憶です。

3.11を機に、在宅療養をめぐる医療機器はずいぶん変わっていきました。
人工呼吸器の内臓バッテリーは、確か10時間程度まで延長されました。
吸引機も充電式のものが積極的に出回るようになりました。
それはとても良い前進だと思います。

ただ、なぜあの時大型停電が予想される事態に至ったか。
そのあと、計画停電が行われたのはなぜだったのか。
やはり福島第一原発事故があったからであり、非常に大きな地震とそれに続く津波に原発は対応することができませんでした。
そして10年経った今もなお、未だに事故は収束していません。

菅首相は10月26日の所信表明演説で、「2050年までに、温室効果ガスの排出を全体としてゼロにする」と「脱炭素社会の実現」を表明しました。
そのために、「省エネルギーを徹底し、再生可能エネルギーを最大限導入するとともに、安全最優先で原子力政策を進める」と。
しかし、安全最優先の原子力政策とは一体どういうことかと悩みます。
原子力を人間の力で制御できないという事実を明らかにしたのが、福島第一原発事故、そしてその後の10年ではないでしょうか。
吉川市でも、事故後の放射線プルームによって汚染された土が未だに、何ら処理することもできないまま各小中学校に積み上げられています。
こうした現実を考えたとき、原子力エネルギーで脱炭素社会を実現するという考えではいけないと強く思います。