ビルマ従軍の日本人「慰安婦」調査から見えてきたこと

2022年09月24日

昨日は山口のみなさんが主宰されたオンライン学習会に参加しました。
テーマは「ビルマ従軍の日本人『慰安婦』調査から見えてきたこと」、講師は元日本共産党の参議院議員で「慰安婦」問題とジェンダー平等ゼミナール代表の吉川春子さんでした。

城田すず子さんは元「慰安婦」だった壮絶な人生を『マリヤの賛歌』(日本基督教団出版局)に著していて、この本は私も読みました。
でも城田さん以外に「慰安婦」だったと名乗り出た日本人は他にいません。
城田さんは韓国の金 学順(キム・ハクスン)さんが実名で名乗り出るよりもかなり前に亡くなってしまっています。
吉川さんは国会議員時代ずっと「慰安婦」問題に取り組んでいて、60名は下らない元「慰安婦」女性と直接会っているそうですが、日本人「慰安婦」には一度も会っていないそうです。
でも間違いなく日本人「慰安婦」は存在していて、旧日本兵たちはそれを良く知っていたそうです。
2009年に吉川さんのもとにある女性から、日本人「慰安婦」の名簿が送られてきたそうです。
その方の叔父にあたる方がビルマに従軍した医師であり僧侶で、その方に依頼して入手してくれたものとのことでした。
吉川さんはその名簿に会った女性たちの実家・親族などを探し求めました。
が、結局本人とは会うことはできませんでした。

『サンダカン8番娼館』という本があり私もかなり昔に読んだ記憶がありますが、熊本県の天草では明治時代から海外に娼婦を送っていた歴史があります。
遊郭で働くことは実家の「口減らし」に協力することであり、当時は「親孝行」と見られていたそうです。
驚くことに山口県には251か所もの遊郭があり、そこに1336人もの娼妓がいたそうです。
しかし戦況が悪化し「贅沢は敵」と見做されるようになる中、遊郭は次第に閉鎖され、そこで働いていた娼妓が「慰安婦」として戦場に送られていったそうです。
軍が各県に人数を割り振り、「慰安婦」女性を募集していたそうです。
それがバレたら帝国の威信・皇軍の名誉を損なう大問題だとして、秘密裏に募集して渡航させてしまおうと画策していました。なんとそういうことが全て、文書として残っていたのです。
女性たちに与えられたお金は「前借金」として500円~1,000円。
しかしその8割は渡航費用としてピンハネされ、手元に残るのは100円~200円。
親または祖父・兄などの「戸主」の承諾が必要とされ、そういう親族の署名の下に娼妓たちは送られていきましたが、中には赤の他人が戸主の欄に名前を書き込んでいる例も見られたそうです。
渡航にあたっては「密に適当な引率者(抱主)の選定が求められ、「密に適当なる引率者」とは「特に身許確実なるもの」とされていたそうです。
日本人「慰安婦」を募集しながら、国民にバレることを恐れていた国の姿勢がはっきりとわかる文書が、吉川さんの国会議員時代の活動の中で見つかっています。

言い逃れができない事実が厳然としてあるにもかかわらず、なかったことにしようとする姿勢、それこそが本当に恥ずかしいと思いました。
ずいぶん昔の話になりますが、次男が通っていた保育所に中国人の方がたくさん在籍していて、その中の一人と次男がとても仲良くしていました。
ある日の午後、近所の公園で楽しそうに遊ぶ二人を見守りながら、そのお父さんと色々と話し込んだことがありました。
その時お父さんから言われたのは、「中国人と日本人が仲良くできるはずがない。なぜなら日本人は戦争責任を果たしていないからだ」と言われ、とても驚きました。
戦後に生まれた私たちに、いったいどんな戦争責任があるのだろうと率直に思い、日本と中国の教育の差に心から驚いた私でした。
でもそのあと「慰安婦」や「徴用工」、日本が中国やアジア諸国で一体何をしたのかという歴史を学ぶ中で、あの時のお父さんの言葉がようやく理解できるようになりました。
今日の学習会でも改めてあのお父さんの言葉を思い出しました。

#me tooが20年前に起きていたら、日本人「慰安婦」も名乗り出ることができたかもしれないとのお話が深く心に残りました。
名乗り出られない社会を私たちがつくっていた(いる)のだと学びました。

過去の辛い歴史を学ばず、直視せず、逆に美化をするいわゆる「歴史修正主義者」の代表格の一人、安倍元首相が間もなく「国葬」という形で弔われようとしています。
しかもその費用は16億(@ ̄□ ̄@;)!!
できることなら国葬では、昨日の吉川さんの講演をYouTubeで流していただき、安倍さんにも最後にほんの少しだけでも歴史を学んでほしいと思う私です。