感染対策と私権の制限

2020年07月15日

昨日、東京都の新型コロナウイルス感染者で連絡が取れない人が多数いるとの報道がありました。
しかしそれはすぐに小池都知事によって否定され、昨日の時点で連絡が取れない人は一人とのことでした。あとで連絡が取れる人もいるけれど、携帯電話を何度も鳴らしてもなかなか出てこない人がいるのも事実とのお話でした。
それに対し今朝の羽鳥慎一モーニングショーでは、新型コロナウイルス感染症は「指定感染症」であり、本来入院措置の対象なんだと、あるコメンテーターが主張していました。
そして「措置入院」とは「行政行為」として強制力を持って行われるべきものであり、新型コロナウイルス感染者については病院のベッドが足りないことが原因で「在宅療養」の選択が認められているに過ぎない。
憲法で基本的人権は認められているが、それはあくまでもナウイルス感染者で連絡が取れない人が多数いるとの報道がありました。
しかしそれはすぐに小池都知事によって否定され、昨日の時点で連絡が取れない人は一人とのことでした。あとで連絡が取れる人もいるけれど、携帯電話を何度も鳴らしてもなかなか出てこない人がいるのも事実とのお話でした。

それに対し今朝の羽鳥慎一モーニングショーでは、新型コロナウイルス感染症は「指定感染症」であり、本来入院措置の対象なんだと、あるコメンテーターが主張していました。
そして「措置入院」とは「行政行為」として強制力を持って行われるべきものであり、新型コロナウイルス感染者については病院のベッドが足りないことが原因で「在宅療養」の選択が認められているに過ぎない。
憲法で基本的人権は認められているが、それはあくまでも「公共の福祉に反しない」ことが条件のはず。
そして指定感染症とはその蔓延により、「国民の生命及 び健康に重大な影響を与えるおそれがあるもの」と規定されています。
だから、この感染症に関して私権の制限は当然認められるはずだというような論調でした。
このコメンテーターの発言、基本的に「そうだなぁ」と思っています。

実はつい最近読んだ本で、『病魔という悪の物語 チフスのメアリー』(ちくまプリマ―新書 金森修著)があります。
どのように考えたらよいか、複雑な気持ちが残る本でした。

チフスのメアリーは実在した人物で、1869年生まれの北アイルランドからアメリカに移住した女性でした。料理が得意な賄い婦でした。
当時のアメリカは、ニューヨークだけでも毎年3,000~4,000人の腸チフス患者が発生していました。
1906年のある夏、別荘の保養に来ていた銀行家の家族が腸チフス患者を出しました。その別荘の水回りや土地、牛乳や湾のハマグリなども調査し、更に出入り業者も調査した衛生工学の専門家は、メアリーにたどり着きました。
メアリーは1897年から10年の間に8つの家族に雇用され、そのうちの7つの家族に腸チフス患者が発生していたことが分かったのです。
メアリーは腸チフス菌の保菌者と思われ、排せつ物の提出や胆のう摘出術を受けることなどを示唆されました。
自身には何の自覚もないことを突然言われ、しかも排泄物提出や胆のう摘出などとんでもないとメアリーが考えるのは自然でした。
しかしメアリーは警察官に無理やり連行され、リバーサイド病院の隔離病棟の更に隔離された犬小屋のようなところに隔離されました。
本人には何の症状もなく、いたって健康だったにも関わらず。
そしてメアリーは、解放を求めて訴訟を起こしました。

しかしメアリーは、ニューヨーク・アメリカンという新聞にこんな挿絵と共に「アメリカでもっとも危険な女」として紹介されました。

裁判官はメアリーに同情はしたものの、メアリーを解放しませんでした。

裁判から半年後、衛生局長はメアリーを開放します。
ただしその時「料理はしない」という誓約書を書かせ、洗濯婦の仕事を見つけてあげました。メアリーは39歳でした。
しかしその5年後、産婦人科病院で腸チフスが発生し、そこで賄い婦として働いていたメアリーが発見されました。
メアリーは再び拘束され、今度は生涯、リバーサイド病院の隔離病棟から更に隔離された犬小屋のような施設で、1938年69歳で亡くなるまで生涯を過ごすことになりました。

メアリーは腸チフスの保菌者だったのは事実かもしれません。
しかし同じ時代に、少なくとも24名が保菌者と考えられていましたが、メアリーのように生涯隔離された人生を歩んだのは、メアリーただ一人でした。
なぜメアリーだけが、こんな風に隔離された生涯を送らなければならなかったのか。
著者は北アイルランドからの移民だったこと、女性だったこと、結婚していなかったこと、そうした差別意識やジェンダーバイアスがあったのではないかと書いています。
また、公衆衛生学もまだまだ十分に発展していなかったこと。

更に、メアリーが一旦解放された時「料理はしない」と約束したにも関わらず、また料理の職に就いたことが二度目の拘束の引き金となりました。
一回目に開放したときに、衛生局長は洗濯婦の仕事を見つけては挙げました。
しかし、料理が得意なメアリーにとってその仕事は満足感の得られるものでもなかったし、給与も賄い婦をした方がたくさん得られた・・・。
つまり、メアリーの生活を十分に補償しなかったことが、メアリーが約束を破ることに繋がり、拘束に繋がったということだと思います。
「保障と自粛はセット!」。
コロナ問題の中で問題とされていることが、100年前のこの時代にも全く十分ではなかったのだと思います。

逆に言うとその時代から100年も経っているというのに、未だに「自粛と補償はセット」ということが定着していない・・・!
ちょっと驚きます。
そしてこの本から何を読み取れば良いのか、私もよくはわかりません。
ただメアリーの生きた時代から100年経った今、「私権」と「感染予防」をどう考えるのか、より高度な科学として人権問題として考えることが求められていると思いました。