憲法9条が果たす、もう一つの重要な役割~竹信三恵子さんの訴えin有明 憲法集会~

2022年05月04日

竹信三恵子さんのお話は、今回の憲法集会で初めて聞きました。
でも、すごく大切なお話だと思ったので、お伝えしたいと思います。

 ジャーナリスト・和光大学名誉教授竹信三恵子さんはジャーナリスト・和光大学名誉教授で、長年労働問題にずっと取り組んできた方です。
それがどうして9条に、または憲法に関心を持つようになったのかというと・・・。
9条というと何となく、人を殺さない不戦の誓いという風に思っていると思う。
しかし同時に、9条が担ってきたもう一つの重要な役割がある。
それは国の富を軍事ではなく、私たちの生活、民生のために使うという構造を作ったこと。

戦前の日本の社会を振り返ると、驚くべきことに日清戦争以来日本は大体10年おきくらいに戦争をしてきた。
それぞれの戦争が始まるたびに軍事費が国の予算の7~8割使われる、すごい社会だった。
そういう社会では働く人のところにも、女性のところにもお金はなかなか回ってこない。
社会保障のためのお金がないので、オンナは家に帰って無償で家事・育児の社会保障をやってくれという話になる。

働く人も、そこに流し込むお金があるなら戦争のために使えという話になるので、いくら稼いでもそのお金は私たちのところには来ず、戦争に全部使われてしまう。
戦争というのは放蕩息子のようなもので、全く何の役にも立たないのにどんどんどんどんお金を使っていく。
そういうものに私たちの生活が第二次世界大戦までは振り回されまくり、そしてその結果何が起きたのかと言えばものすごく大量の人が死に、また殺し、そして悲惨な敗戦という形になっていったという経緯。
9条というのはある意味人を殺さない不戦の誓いであると同時に、戦費にお金を使わない、社会保障にちゃんとお金が来るようにということを構想されていたと考えても良いと思う。

13条幸福追求権、そのためにはきちんと生活の保障がなければならないし、社会保障が必要。
14条の男女同権。一見国のお金に関係ないように見えるかもしれないが、社会保障がないと女性は外に出られない。
家にこもり、家事・育児・介護をお前たちはただでやっていればいいんだと言われてしまう。
保育園が足りなければ、働きに行けない。それは男女平等の基礎。

25条の生存権も、社会保障なしには成り立っていかない。
27条28条の労働権、労働者が国のお金又は企業のお金を使って働く人にお金を出せと主張する。
頭の中に「軍事費」というものがあると私たちは「軍事費ね~。良くないかもしれないけど、国を守るためのお金だよね」とふと思わされてしまう。
一方でこっちの頭では「保育や介護のためにもっとお金を出してください」という。それっておかしい。二つのことは繋がっている。軍事費にお金をバンバン使う社会に、介護や保育にお金が出せるわけがない。

介護や保育にお金を出してほしい、社会保障にお金を出してほしいと言う人は「9条守れ」と言わなければならない。財布は一つ。それが何となくトリックで、「防衛のお金」と「社会保障や働く人のためのお金」「女性のためのお金」は別のもののように言いくるめられてしまっている。
こういうことをまず改めていくことが非常に重要。

9条によって放蕩息子をまずは止める、そのお金を民生に使わせる。
これが戦後で重要なことだった。それが段々怪しくなってきた。
例えば非正規労働がどんどん増え、今は5人に二人が非正規。生活が安定しない。詩人の萩原慎太郎さんはそういう自分の状況を、「非正規という受け入れがたき現状を、受け入れながら生きている」と詠い、32歳で自死された。
このような人が今、5人に二人もいる。
そして一方で同時に、働く人の権利を守る労働3権。ストライキしなければ賃金は上がるはずがない、社会保障だって守れない。
最近、関西の生コン業界でコンクリートミキサー車の運転手さんたちがストライキをしたのをきっかけに、80人以上の運転手がバサバサと捕らえられた。
しかも70人くらいを起訴。あまりにも杜撰な証拠により一部無罪になったが、全く報道されていない。
こういう状況が続けば、労働3権なんてもう有名無実。

ストライキを「威力業務妨害」と言っている。団体交渉を「強要」とか刑事用語に置き換えて起訴している。
これって、どこかで見たことありませんか。
それは9条のなし崩し改憲。憲法28条の労働3権のなし崩し改憲みたいなことが、もうずっとこの間されてきている。
多くの非正規の人たちは声を出せなくなっていくという状況が、今起きている。

こういうことを見ていると、9条がなくなったらもっと大変なことになる。
既に1%までと言っていた防衛費=軍事費が、今は平気で軽々と2%を超えてもいいというようなことを言い始めている。

借金だらけのこの国で社会保障もちゃんとできなくて、生活保護がちゃんと支給されないために、「おにぎりが食べたい」と言って死んでいった人たちがいるのに、そこにお金を出さないで、まだ2%とか言っている。
そのことについて私たちが、結び付けられないということが問題。一連の問題なんだ。

というようなことを、皆さんに何とか共有していただこうと思い、今日この場にやってきた。
9条が防ごうとしたものは、戦争による死者だけではない。
公費によっていろいろなセイフティネットを人々に保障すること、そこに国のお金を注ぐことで、生活保護を受けられずに餓死していった人とか、あまりにも少ない配置基準で保育士さんの目が行き届かず事故死してしまったような保育園児とか、そういうたくさんの死者たち。コロナ禍で仕事を失い、子どもを養えないシングルマザーの人たちがお米の支援を受けて何と言ったか。
「これでやっと、2食が3食になりました」「「これでやっと、雑炊から普通のご飯が食べれるようになりました」と言っている。
こうした状況を放置して、どうして2%なのか。
9条がなくなったら、この状態は坂道を転げ落ちるように加速していく。
そういうリアリティを持って、9条がなくなるということを受け止めていただきたい。

よく、こんなに大変なのに9条とか改憲とか言ってられないという声を聞く。
逆。明日のことを考えるから改憲してはいけない。9条をなくしてはいけない。

私たちの今日、明日を考える。
そのために次の参院選で絶対に9条を変えさせない、そういう意思を共有していこう。