時間と空間のつながりをなくした人

2021年11月24日

先日、母に面会に行ってきました。
つわぶき頼り2021年11月号「きよみの暮らし」の欄には、「年をとっても住み慣れた地で最期まで」暮らせることが高齢者の安心だと思っていましたが、実は住み慣れた地を遠く離れても、すぐに身動きが取れる子どもの近くで暮らせる安心感というものもあるのではないか、そんなことに気づかされたと書いてしまいました💦

ところが面会に行ってみると、母は急変して救急車で病院に運ばれたことなどすっかり忘れてしまっていました。
「体調はどう?」と聞くと、「私は丈夫だから」と。
「入院したことは覚えている?」と聞くと、「いつ入院したの?・・・・あぁ、もうずっと前にねぇ」と。多分50代のころ、勤務先の工場で指をけがして入院したことを話しているのでしょう。
狭心症で胸が苦しかったことももちろん覚えていないし、私が近くにいたので、すぐに対応してもらって良かったというような思いも、もちろん当然ありません💦
「施設には慣れた?」と聞くと、「慣れない」。
「友達はできた?」と聞くと、「友達は岐阜にしかいない」と。
「ここはどこか、わかる?」と聞くと、「わかってるよ~。あんたの勤務先の病院でしょう」と💦
「私は、あんたの病院の個室に入れてもらった」と。
「こんな遠くに来ちゃって。知ってる人も誰もいない」と、「たるい」と泣いていました💦

う~~~ん💦
「たるい」かぁ💦

「たるい」というのは愛知県や岐阜県で使われている方言で、直訳すると、残念で悔しくて悲しくて・・・、そうだ!「わが身を嘆く」的な意味合いの言葉かなぁ。
母はそういう気分らしいです。

確かに岐阜の老健施設に母を迎えに行ったとき、5~6人くらいの女性が車いすを自走しながら母とともに玄関先まで来てくださって、「バイバイ、また来てね~」と見送りをしてくれました。
その言葉から勝手に察するに、その方々にも軽く認知症があり、母がこれからどこに行くのか、もうそこへ戻っていける状況ではないといったことを十分に理解してくれている仲間とは思えませんでした。
同じくらいの世代で同じくらいの認知レベル、さらに同じくらいの日常生活の自立レベルの方々が、同じ方言で繋がっている・・・。
同じ方言を話すから「あんた、どこ?」と気軽に聞けて、100%完全な答えが返ってこなくても、「あぁ、あの辺りの人なんだな」と勝手に想像し、お互いに親近感を抱きあう。
そして親しく繋がる・・・。
方言にはそういう力があるような気がします。

そして母は認知症を患い、時間と空間のつながりを失ってしまいました。
今はようやくここが埼玉だと理解したようではありますが、なぜ埼玉に来なくてはならなかったのかは理解できないし、埼玉に来たからこそ命が救われたというエピソードすら記憶できません。
そういう人に、いやいや埼玉に来たからこそ良かったこともあったでしょうと話しても理解してはもらえないし、勝ち目もありません。
母が唯一したいことは「遊び歩きたい」。
誰かと気が向くままにどこかに出かけ、のんびりと景色を楽しみ、ちょっとしたおいしいものを食べて帰ってくる・・・。
そんなことがしたいのだと思います。
でも、今は落ち着いているとはいえコロナが終息したわけではありません。
入所施設からの自由な外出は、今のところまだできません。
何もしてあげられないままに、母は「こんなところに来ちゃった」というストレスをため込んでいくのかなぁ。
私も、時間と空間のつながりを失った人に「来て良かった」と思ってもらう術もなく、時間だけが過ぎていきます。

そして母は丈夫です。
91歳、糖尿病歴31年。しかし合併症はありません。
あ、狭心症とか認知症とか合併症といえば合併症ですが、網膜症での視力障害もなければ腎症もありません。いわゆる三大合併症はありません。
昔、父の職場だった山に毎日通い続けた成果だと私は思います。
丈夫であるがゆえに、まだまだ長生きするであろう母。
その母が長生きして良かったと思えるように、何をどう支援したらよいのか未だに見いだせずにいる私です💦