認知症の世界

2022年02月11日

昨日、久しぶりに母に面会に行ってきました。
コロナの影響で面会をするにも予約が必要だったり、予約も1日3人程度までしか受け付けていないので、私の都合の良い日に予約が取れるわけでもなく、またこのところ義母の具合が悪いのでそちらにも通わなくてはならず、近くにいるのになかなか面会に行けずにおりました。
久しぶりに顔を見た私に、母は「やっとかめだね~」(久しぶりとの意)と、良い表情で笑っていました。

それからしばらくお喋りをして、姉の話題になると「あんたと一緒に、お墓参りに行きたいと思ってた」と言い出しました(@ ̄□ ̄@;)!!
「なんで?」と聞くと、「死んじゃったから」。
え~~~~!!!Σ( ̄□ ̄|||)
「いつ死んだの?」と聞くと、
「もうずっと昔」と・・・💦💦💦
「もう残ってるのは、あんたと私しかいない」と、とてもリアルなお話💦💦💦

「生きてるよ~」と言っても「死んでないよ~」と言っても、修正はできません💦。
昨年10月、岐阜を出てこちらに連れてくるとき、姉と一緒に岐阜の施設に迎えに行ったのに、それも全然覚えていませんでした💦
姉のパートナーに会ったことははっきりと覚えているのに、姉に会ったことは記憶にありませんでした💦

なるほど!!
90歳を過ぎて認知症になった母にとっては、これまでもほとんど会うことのなかった姉、この先も会うチャンスがあるかないかもわからない姉は死んだも同然。というか、死んだと理解するのが一番合理的なのかも💦💦
そういえば、坂本冬美さんも歌っていました。
「いつまで待っても来ぬ人と、死んだ人とは同じこと」って。
確か『夜桜お七』という、とってもかっこいい歌です。

姉に会えない淋しい気持ちを、「死んだ」と理解することで納得させているのかなぁ。
そして、本当は岐阜で暮らしたいけれども埼玉にいなければいけない理由も、姉が死んでしまって、私しか残っていないから仕方がないと自分に言い聞かせることができるのかもしれません。
それで納得できるなら、そういう思い込みをしても別に構わないのかなぁ。

どこか淋しく、悲しい母の思い込みの世界。

夕方から雪が積もるとの予報だったので早々に家に帰り、しばらくして外を見てみると、あっという間に白銀の世界ができ上っていました。
雪の夜は、いつも何か淋しい・・・。
認知症の母も、面白くてついつい私はゲラゲラ笑ってしまうけど、何か淋しい・・・。
もっと時間を作って、面会に行こうと心に誓った夜。