連続テレビ小説『おしん』

2020年03月24日

昨年4月、たまたまテレビをつけたときにNHKBSプレミアムで連続テレビ小説『おしん』の再放送をしているのを見ました。
1983年に放送され、大人気を博した番組でしたが、私は見たことはありませんでした。
再放送が始まることも知っていましたが、観たいとは思っていませんでした。
ところがたまたまのチャンスで観始めたら面白くてやめられなくなり、毎朝欠かさずに録画して、とうとう最終回まで全て欠かさずに観てしまいました💦
先週の土曜日で終わってしまい、楽しみが一つなくなってしまいました(笑)

山形県の貧農の家に生まれたおしんは、わずか7歳の時に口減らしのために奉公に出されました。
奉公先の主人は冷ややかで、従業員を信頼する気持ちも大切にする気もなく、7歳のおしんは冷遇されました。
奉公に出るときにばあちゃんがそっとくれた5銭を大切に胸にしまっていたおしんでしたが、ある日そのお金を「盗んだんだろう!」と泥棒扱いされ、おしんは耐えきれなくなり奉公先を飛び出しました。
家に歩いて帰ろうと思ったのですが、雪深い山形の山の中の道は厳しく、おしんは雪の中に倒れ込んでしまいました。

倒れているおしんを発見して助けてくれたのは、中村雅俊演じる脱走兵、俊作あんちゃんでした。
山の中で一冬を、おしんは俊作あんちゃんと一緒に過ごしました。
あんちゃんは色んなことをおしんに教えてくれました。
学校に行きたいと願っていたおしんに、読み書きや算数を教えてくれたのもあんちゃんでした。
あんちゃんはわずか7歳のおしんに、与謝野晶子の「弟よ 君死に給うことなかれ」を暗唱させました。
そして、人間はその気になればどこでだって勉強できるんだと教えました。
何よりも、どんなことがあっても戦争だけは絶対にダメだ、戦争はいけないんだと教え、「おしん、お前だけはどんなことがあっても、最後の一人になっても戦争反対と言い続けろ」と教えました。
この言葉は生涯、おしんの胸に刻み込まれました。

しかし、時代が明治・大正・昭和へと移っていく中で、日本は軍国主義への道をひた走っていきました。
そんな時代の流れの中で、おしんは戦争反対と言い続けることはできませんでした。
その結果、おしんは太平洋戦争で大切な長男を失い、また終戦の翌日には軍に協力していた夫が自殺してしまいました。
「戦争反対」と言えなかった自分を悔やみつつ、戦争が終わった今、これからは「自分の人生を生きるんだ」と決意して、自分の人生を自分の好きなように生き始めました。

元々商才のあったおしんは小さな魚屋から始めて、地域に信頼される食品+雑貨店へと事業を拡大し、更にスーパーマーケットをオープンさせ、そのお店を何店舗ものチェーン店を持つ大きな事業へと展開させていきました。

最後の方はおしんの成功物語、細腕繁盛記かと思って観ていましたが、最後まで観ると決してそういう話ではありませんでした。
この物語に貫かれていたのは、「戦争反対」「戦争だけは絶対にダメ」「平和でなければ人は誰も自由には生きられない」、そういう精神だったと思います。
戦争が終わり、平和な時代が流れ、おしんのお店が繁盛していく中でも、その精神は生きていたようです。
終わりの方で、若いころの恋人だった浩太さんと海を見つめながら会話を交わす場面がありました。
「自分たちが死んでしまったら、もう戦争の真実を語り継ぐ人が誰もいなくなってしまう」。
言葉は多少違うかもしれませんが、二人の間でそんな会話がなされていました。
おしんは、私の母の母、私の祖母くらいの世代の女性です。
本当に戦争という時代の中で子どもを産み育て、その時代を生き抜いたのは、そういう世代の人たちだったのだと改めて思いました。
「戦争の真実」「戦争のありのまま」を語り継がなくてはいけない、そんな思いがその世代の方々にはあったのだと思いました。
おしんの物語は「戦争反対」と言い続けることはできなかったけれど、間違いなく戦争の時代を生き抜いた一人の女性の物語だと思いました。

面白かったです(⋈◍>◡<◍)。✧♡

実は戦争反対だけでなく、農民解放、小作の問題等も鋭く取り上げていたのですが、話が長くなるのでここでは割愛しました 💦💦