マヤッカの家

2024年07月19日

とても素晴らしい理念だなぁと思うのですが、誰でもクライシスに陥るときもあれば、誰でも追い詰められてしまう時がある。そんな時に『マヤッカの家』に来て苦しい現実とちょっと距離を置いたり、暫くそこで休んだり、気持ちを吐き出すことでまた地域の中で普通に暮らしていくことができるのではないか。
そういう場所がないばかりに、精神科に受診して、その結果長期入院になって社会と切り離されてしまうとか、縛りつけられたり理不尽な対応をされることになっているのではないか・・・。
そんな問題意識から、訪問看護と精神科クリニックで働いた経験を持つ看護師と、精神保健福祉士とが始めた居場所。
年齢制限もなく、男性か女性か、子どもか大人か、不登校かそうでないか、そういう枠組みに縛られない誰でも行くことができる居場所。

連休は名古屋に行っていました。
目的の一つは、学生時代の友人が20数年前に開設したフリースクールを見学させてもらうことでした。
大学を卒業後一旦は教員として就職した友人が早々に退職して今はフリースクールの運営をしていると聞き、どんなフリースクールなのか、どんな考えで運営しているのか、ぜひ聞いてみたいと思って行ってきました。
本当は昨年の春頃に行く予定だったのが延び延びになっていたのですが、ようやく行くことができました。

つい先日、95歳のお誕生日を迎えたばかりの義母。
お祝いのお寿司をほぼ一人前平らげ、7歳の孫クンが「95歳にしては元気だ」と言うほどでした。
が、それから1週間も経たないうちに急変。
6日に緊急入院、8日に息を引き取りました。
2年半前のお正月、「父親も大みそかに亡くなったから、自分も大みそかに死ぬんだなぁと思った」と本人が口にするほど、それまでの元気がウソのように体調を崩しました。
2年前のお誕生日は、「多分これが最期のお誕生日」と言ってみんなで集まりました。
以後、介護保険でデイサービスや訪問看護を利用しつつ、入退院も繰り返しつつ、低空安定状態を維持してきました。
昨年も今年もお誕生日を迎えることができました。
かなり具合は悪くなっているけれど、まだ頑張れるかなぁと思っていました。
...

かねてから海外で働きたいと言っていた次男君が夢を叶え、海外に転勤することになりました。

6月議会が終わったかと思ったらすぐにコロナに感染してしまい、その後も咳がなかなかおさまらず、報告がすっかり遅くなってしまいました。
6月議会の一般質問で私が取り組んだのは、「住宅確保要配慮者」の住宅問題でした。
昨年の12月議会でもこの問題に取り組み、私は市営住宅の必要性を訴えました。
しかし市の答弁はこの問題を国も十分認識しているので、「国の動きを含めて注視していく」というものでした。
この間住宅の問題に取り組む中で思うことがたくさんあり、改めて6月議会で取り組んだのでした。

珈琲の色

2024年07月03日

社会人2年目くらいまで、私は珈琲にはお砂糖を2杯くらい入れて、それからミルクもたっぷり入れて飲んでいました。
今思うと砂糖汁かミルク汁に珈琲の色が軽く付いていたくらいの飲み方だった気がします。

2年半前のお正月、義母は体調を崩しました。
「父親も大みそかに亡くなったから、自分も大みそかにこの世を去るんだなぁと思った」と言うほど、本当に苦しかったのだと思います。
そして以後、要介護状態になりました。
その時は介護保険を申請しても、結果が出るまで命がもたないのではないかと思っていました。
少し落ち着いて、みんなでお正月の顔合わせをすることになった時も、私たちは「多分これが最期のお正月だと思う」「春は迎えられないと思うと言って、息子たちにも出席を促しました。

訃報

2024年06月26日

昨日夕方、古い友人からしんぶん赤旗訃報欄を確認するようにとの唐突なLINE。
慌てて確認をすると、そこにはこれまた古い、とても大切な友人の名前が載っていて衝撃を受けました。