『阿部定事件 愛と性の果てに』

2023年02月11日

少し前にBS TBS「にっぽん!歴史鑑定」という番組で「阿部定は悪女だったのか?」を放送していました。
15歳で性暴力被害に遭い、自己破滅的な生き方の末、世間を震撼とさせる事件を起こした阿部定さん。実は性暴力被害者であり、その結果PTSDを患い、またボーダーライン(境界型パーソナリティー障がい)だったのではないかといった描かれ方でした。
「阿部定」という名前と、起こした事件をうすぼんやりとは知っていても、真実は何も知らないということに気付かされました。
そして早速読んでみたのが、この本でした。
『阿部定事件 愛と性の果てに』(伊佐千尋著 新風舎文庫)。事件が起きたのは1936(昭和11)年。

「事件の前年、昭和十年は軍国日本の幕開けの年であった。きな臭い砲煙が鼻をつき、軍歌の響きがしだいに音高く、国民生活に迫りつつあった時代である。」と、軍国主義化が進んでいく当時の様相がいくつかの事件の紹介とともに描き出されています。そして事件が起きた1936年(昭和11年)は、二・二六事件が起きた年。こうした社会背景の中で起きた「人間臭い」事件だったからこそ、大注目を集めた・・・。

この本は1989年に文芸春秋より刊行され、2005年になって文庫本化されたものです。
もしもう少し後で描かれていたら、15歳で性暴力被害に遭った事実にもっと注目した描かれ方をしていたかもしれません。残念ながら、その点は全く注目されていません。
不良仲間と遊び暮らしていたことから、実の父親から「そんな男好きなら娼妓に売ってしまう」と、定さんは前借金300円で売られてしまいました。お父さんは「すぐに嫌になり、謝ってくるに違いない」と思って、むしろ矯正のために定さんを売ったようですが、そこから定さんは前借金がどんどん膨れ上がって抜け出せない人生を生きることになってしまったのです。
「彼女にとって、人生の岐路は、娼妓の世界へ足を踏み入れたことではなかったかと思う。(中略)前借金などに縛られず、自由な世界に生きていれば、もっと別の人生を歩んでいたに違いない。少なくとも、あのような犯行に走らずにすんでいたのではないかと思う」との記述です。

その前借金、人身売買についてこんなことが書かれています。
1872年(明治5)年、あるペルー人がマカオで清国人236名を奴隷として購入。所持する船に乗せて帰国する途中、横浜に寄港。夜半、一人の清国人が逃亡を試みて海へ飛び込み、停泊していたイギリスの軍艦に救出されたとのこと。
英国公使が日本政府に処置を求め、日本政府は清国人を全員解放して清国へ送還。
ペルー政府は日本に抗議し、損害賠償を要求。その手続きの中でペルー政府は、「日本は、国内では芸娼妓などの人身売買を公認しながら、他国民にのみこれを禁じるのは不当」と主張。
日本は当時不平等条約改正のため、世界の文明国の仲間入りをしようと懸命に努力をしていたことからすぐに対処され、
一、人身を売買し、終身又は年季を限りその主人の存意に任せることは、人倫に背くものであるから、禁止する。年季奉公など   種々の名目を持って行われる所業も、その実売買と同様であるから、禁じる。
一、芸妓・将棋などの年季奉公は、一切開放する。これに係る貸借訴訟は、取り上げない。

との太政官布告が発布されたそうです。
ところが不平等条約の改正が住むと、政府は1900(明治33)年に「娼妓取締規則(内務省令)」により芸娼妓を行政的取り締まりの元公認。大審院(現在の最高裁)も「芸娼妓契約友好論」に転じ、人身売買禁止令は骨抜きにされてしまったということです。
そして1957(昭和32)年、売春防止法が施行されるまで貧しく若い女性が売買され続け、阿部定事件のように悲しい事件が起きました。
逃げ出して殺された女性も数知れないということです。
政府の責任の重さを感じます。ひどい話です。