ばっちゃん、ありがと(@^^)/~~~

2022年02月27日

愛知から姉夫婦がやってきて、我が家の4人と姉夫婦6人だけで母とささやかにお別れをしました。

病院で死亡確認された後、母に着せてあげる着物を取りに大急ぎで我が家に戻りました。
私が高校時代3年間一緒に暮らした伯母の遺品の着物の一枚を着せてあげようと決めていましたが、どの着物にするのかを考えるのにしばし時間が必要でした。
私が選んだのは母たちの一番下の妹、私にとっては叔母ですが、その叔母が12年前に亡くなる直前に伯母とお揃いで作ったという着物でした。
全然科学的じゃありませんがその着物を着て旅立てば、向こうの世界で伯母たちにすぐに発見してもらえるかなぁとか💦
向こうでまた仲良く姉妹喧嘩をしてほしいなぁとか💦仲の良い姉妹だったので💕
そんな気持ちで選んだ一着でした💕

あと、一緒に持っていってもらったのは、母が日々書き溜めた日記というかメモというか、そんなものでした。
私は本を読むことと文章を書くことが大好きですが、母の書き溜めたものを読んでみると、そういうことが全て母譲りなのだということが改めてよくわかります。
そんなものを棺に入れて、持って行ってもらいました。

あっという間に火葬が終わり、お骨を収集しました。
ビックリしたのは大腿骨と膝の骨がとてもしっかりしていたことでした。
90歳を過ぎて骨粗しょう症もそれなりに進行していたでしょうに、こんなに完ぺきに大腿骨と膝関節が出てくるとは(@ ̄□ ̄@;)!!本当に驚きました。
前にも書きましたが私が小学校に上がるまで毎日毎日父の山小屋に歩いて通い、働き続けた意義は本当に大きかったのだと改めて感動しました。
考えてみると、母から「膝が痛い」というような話をきいた記憶がありません。
年齢を重ねて筋力が低下し歩行器なしには歩けなくなりましたが、骨自体は丈夫だったんだなぁと思いました。

火葬が終わるまでを待つ時間、そのあとの食事の時間、ずっと話題になったのは息子たちの「岐阜時間」でした。
夏休み・春休み、一人で名古屋で新幹線を降りれるようになるまで、母は必ず息子たちを迎えにやってきました。
そして当たり前のように連れて帰りました。
空気の良い岐阜での生活で、次男のひどいアトピーがすっかりきれいになりました。
蚕さんをいただいて夏の自由研究にしたり、様々な昆虫採集をしたり、付知川のきれいな清流で川遊びをしたり、息子たちの豊かな体験は母が迎えに来てくれたからこそのものでした。
長男は今、自分の息子に同じ体験をさせたいと願っています。
が岐阜にはもう泊るところがないので、どんなに望んでもかなうことのない願いです。
息子たちに本当に豊かな体験をさせてくれた母。
そもそも息子たちだって私がいなければこの世に生まれることさえなく、その私を生んでくれたのは母でした。

母に感謝しながらさよならをした、長い一日でした。
ばっちゃん、ありがと(⋈◍>◡<◍)。✧♡