少し回復してきたみたい(⋈◍>◡<◍)。✧♡

2022年02月17日

母の主治医がわざわざ電話をくださって、母の病状説明をしてくださいました。

血圧は120~130程度と正常な値に戻っていて、意識レベルも名前を聞くと答える程度には戻ったとのこと。
救急搬送される前は普通にしゃべっていたけど、そういうレベルには戻れていないみたいです。
もう少ししたらICUを出て、普通の病床に移れそうです。
検査をして十二指腸のあたりに腫瘍があるようだということもわかりました。

一昨日の朝は本当にこのまま「さようなら」という状況だったので、とりあえず少しホッとしています。
が、ここからがまた問題です💦
腫瘍があるようだということがわかっても高齢だし、治療というわけにはいきません。
出血するといけないので血液サラサラの薬を止めていますが、そうするとまた新たにどこかの血管が詰まってしまうリスクは否定できません。
何より今は点滴をたくさん入れて血圧が維持できていますが、点滴を中止した時、今の母の状態からは生命を維持できるだけの十分な飲水が確保できるとも思えず、医師は鼻から胃に管を通して、そこから栄養剤や水分補給をすることを勧めてくださいましたが、母はそういう延命処置を望んではいません。
昨年10月に狭心症で入院した時も本人は何も覚えてはいませんでしたが、後で私に「私はそんなに大変な病気をしたの?」「それならなんでそのまま死なせてくれなかったの?」と話していました。
延命を望まないなら病院に入院し続ける意味はないし、かといって決して状態が安定したというわけではなく、いつ何が起きるかわからない不安定な状態で施設さんに受け入れていただけるかどうかも不安です。
今の状況から考えると、残された時間はもう決して長くはありません。
コロナ禍のもとでは入院していても施設に戻ったとしても、残された短い時間、家族が自由に面会に行ってそばにいるということもできません。
せっかく孫やひ孫がそれなりに近くに住んでいるのに、会うこともなくお別れというのやるせなくてたまりません💦

それならいっそのこと、我が家に連れて帰るか・・・。
どうしたら良いのかなぁと、繰り返し繰り返し考えています💦
ケアマネや訪問看護の仕事をしていたころは、こんな風に悩む家族に「最後までしっかりと支えますよ」「大丈夫ですよ」と背中を押してきたものでした。
今はまだ、一人でその決断をするだけの自信がありません💦

それにしても一昨日の真っ白で冷たくなった母が、ここまで回復するとは💦
一つは輸血と点滴の力だと思いますが、母の体力にも驚きます💦

一昨日も書きましたが、私が小学校に上がるころまで母は私と姉を連れて、毎日父の仕事場に通っていました。
子ども心にそれは果てしなく遠い道のりだったけど、今思えば多分5キロかそこらの道だったのでしょう。
でも山道を幼児二人を連れて毎日歩くというのは、並大抵のことではないと思います。
行くだけでなく、そこで母は父の仕事を手伝っていました。
どんなことをしていたのか私には想像もつきませんが、体力がものをいう大変な仕事だっただろうと想像します。

そして春には山イチゴを摘み、秋にはアケビを摘んで食べ、あらゆる山菜に父が山で採ったキツネやタヌキやイノシシや・・・。
そんなものが貴重な食糧だった生活。
身体に良いものしか食べずに過ごした人生・・・💦
体力があるのも当然だと、改めて思います。

その生活は、多分私が小学校5年生頃まで続いたのではないかと思います。
・・・ってことは、私も10歳ころまで極めて自然で健康的な生活を送ってきたということで・・・💦
もしかしたら私も、母と同じようにものすごい体力の持ち主かもしれません💦
それはそれで、今度は自分の先々に不安を感じます💦

父の仕事場に通っていたころ、母が好きだと話していた花はこの花です。
今調べてみたら、「モズジリの花」というそうです。

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