映画『ONODA一万夜を超えて』

2022年08月10日

映画『ONODA 一万夜を越えて』。
昨秋に公開されて、見たいみたいと思いつつ見逃してしまいましたが、キネマ旬報柏で今上映されていることを知り、大急ぎで観に行ってきました。
フランス・ドイツ・ベルギー・イタリア、そして日本による国際共同制作作品で、第72回カンヌ国際映画祭「ある視点」部門オープニング作品だそうです。

小野田寛郎さんがフィリピン・ルパング島で発見され、日本に帰還されたのは1974年。
その時私は中学生でした。
その2年前にはグアム島で発見された横井庄一さんが帰国しました。
横井さんは戦後四半世紀にわたって終戦を信じず、ジャングルの中に潜んでいたという事実の重さとは全然裏腹に?、「よっこいしょういちさん」というギャグが人気を博し、お茶の間に愛されていました(・・・と、子ども心の記憶です💦)。
小野田さんが帰国した時はその時とは全然違う、何か重苦しいものを子どもながらに感じたものでした。
映画を観て、その正体が何だったのか分かった気がしました。

陸軍中野学校二俣分校を卒業した小野田さんは、「死ぬ権利はない」「できる限り生き抜いて、任務を遂行せよ」と教えられました。
終戦後も小野田さんの任務を解く上官が誰もいなかったので、29年もの長きにわたって任務を遂行し続けたのでした。
映画の中での話なので、実際のところどうだったのかはわかりませんが、小野田さんの表情は終始険しく、楽しそうに笑うこともなく、そんなにも長い時間大日本帝国の軍人であり続けました・・・(@ ̄□ ̄@;)!!
もし私なら怖い上官もいないし、誰も攻めてこない状況を見て「ま、いっか」と思ってしまいそうだし、「あほくさい」と思ってしまいそうだし、「や~めたやめた」と思いそうな状況の中で、ひたすら軍人であり続けた小野田さん。
軍国主義教育の犠牲者だなぁと、私には思えました。
もちろん教育だけで小野田さんがそんな生き方をしたわけではなく、もともとの性格もあったでしょうし、調べてみるとお父さんや兄弟たちもみんな軍関係の仕事をしていて、帰国後に結婚したパートナーの方も後に日本会議に所属するような方だったようなので、当時の日本の帝国主義・軍国主義が他の誰よりも強く身についていたのかもしれません。

戦後の長い長い時間をルパング島で共に過ごした戦友が死んでも、小野田さんはたった一人の闘いを続けました。
小野田さんを発見したのは一人の日本の若者(鈴木紀夫さん)でした。
ラフな格好でルパング島を訪れた鈴木青年は、「野生のパンダ」「小野田さん」「雪男」の発見を夢見る風変わりな人でした。
初めは小野田さんに銃を突き付けられましたが、鈴木青年の敵意のないラフさに小野田さんも心を許したというか、多分どこかで小野田さんも終わりにしたかったんじゃないかとも感じました。
小野田さんは自分一人でこの戦いを終わりにすることはできない、小野田さんの上司だった人に決着をつけてほしい、どうしたら良いか指示してほしい、元の上司を連れてきてほしいと青年に話しました。
そして鈴木青年は2週間後にまたここでと約束をして帰国、元の上司を探しました。

陸軍中野二俣分校で小野田さんを厳しく教育したその人は、戦後30年近く経って、戦争当時のことを「忘れて」または「忘れようとして」片田舎で静かに暮らしていました。
鈴木青年に一緒にルパング島に行ってほしいと懇願されても、すぐには「うん」とは言いませんでした。
それでも鈴木青年に動かされ、共にルパング島に行き、小野田さんの任務を解き、ようやく小野田さんは長い長い戦争とその任務から解放されたのでした。
その3人の対比は、とても心惹かれた部分でした。

何故、今この時代にフィリピンを含むアジア諸国ではなくフランス・ドイツ・ベルギー・イタリアといった国々がこの映画を創ろうとしたのか、その意図はよくわかりません。
が、人生は泣いたり笑ったり怒ったり悔やんだりしながら、自分のために生きるものでありたい・・・。
かくも長きにわたり、誰かのため、天皇のために感情を押し殺し闘い続ける人間を、二度と生み出してはいけないと思いました。
小野田さんの人生を否定するつもりはないし、冒涜するつもりもありませんが