昨年の学校の一斉休校を改めて考える

2021年05月14日

10~11日は、多摩住民自治研究所主催の議員の学校に参加しました。
今回のテーマは「子どもの権利と地方自治体の政策ー地方議会の果たすべき役割とは何か」でした。
議員の学校は可能な範囲でできる限り参加していますが、毎回新たな出会いや学びがあります。
今回最も心に残ったのは、学校長の池上洋通先生のお話でした。

昨年の安倍元首相による、学校の一斉休校の話です。
学校保健安全法20条で「学校の設置者は、感染症の予防上必要があるときは、臨時に、学校の全部又は一部の休業を行うことができる」と定められていて、学校の設置者とは市町村教育委員会(市町村立小中学校の場合)。
教育基本法第10条には、「教育は不当な支配に屈することなく、国民全体に対し直接に責任を負って行われるべきもの」と記されています。
内閣総理大臣が全国一斉の休校を決める、要請する権限などどこにもなかったのです。
休校を決めることができたのは、教育委員会だけだったのです。
それなのに、みんながそれに従った・・・。当の教育委員会も意義を唱えることはなかったし、私も含めて、何か変だと思った人はたくさんいたと思いますが、休校をやめさせる力にはなりませんでした。
この事実は、本当にみんなが深く反省するべきことだったと胸に刻まなくてはいけないと知りました。

政府が勝手に学校の休みを決めたのは、歴史的には76年前に一度だけありました。
1945年3月18日、本土決戦が迫る中で「決戦教育措置要綱」を閣議決定し、国民学校初等科を除いて、ほかの学校における授業を4月から1年間停止したのでした。
その結果、どれだけの子ども・若者が命を奪われ、どれだけの戦争孤児が生まれたのか、子どもたちの人権をどれだけ踏みにじったのか・・・。
そういう歴史をきちんと認識し、政府が勝手に学校を休校にするなどの事態を許してはいけない。
昨年の一斉休校も、子どもたちは単に学校に行けなかったというだけではありませんでした。
子どもたちから「学ぶ権利」を奪っただけではありません。
子どもたちは友達と遊び・語らい・ふざけ合う中から「育ち」を得ます。学校に行けなくなり、友達と遊べなくなったということは、子どもたちのそういう「育つ権利」をも奪ったのでした。

知らないということ、知識がないということは恐ろしいことだと、改めて思います。
学校を休校にする権利が誰にあるのか、そんなことさえ私は知りませんでした。私だけでなく、多くの人が知らなかったのだと思います。
知識がなければ間違ったことを許してしまい、それは誰かの権利を踏みにじることにもつながりかねません。
常に勉強を重ねて、知識を積み上げ、「変だなぁ」と思うことの本質をちゃんと見抜けるような人間になりたいと思います。とても難しいことですが。

議員の学校に参加して池上先生のお話を聞くたびに、「目からウロコ!」と思う気づきがあります。
毎回毎回、5~6枚のウロコが剥がれ落ちます。
それでもまた新たなお話を聞くと、またまた目からウロコが数枚落ちていきます。いったい自分の目にはどれほどのウロコが積み重なっているんだろうかと思います。曇りガラスから社会を見ていることがたくさんあるのだと思います。
曇りガラスの上からではなく、ありのままの社会を見つめられるようになるためには、やっぱり勉強を重ねていくしかないなぁとつくづく思います。