火葬葬

2022年10月15日

昨日亡くなった叔母の葬儀でした。
「葬儀」と言っても参列者は私たち夫婦と義理の兄、3人だけのひっそりとした葬儀でした。
3月に私の母が亡くなったときも同じようにしましたが、ただお花を添えるだけ、そして火葬するだけの葬儀でした。
コロナ禍でこういう葬儀も増えているかと思いますが、「火葬葬」と言うのだそうです。
初めて知りました。

火葬の間に思い出したのは、叔母と『少年H』の映画を観に行ったことでした。
その頃の叔母は被害妄想が非常に強くて、いつも緊張していて、怯えていて、何もかもが不審そうで、本当に辛そうでした。
ちょうど『少年H』が公開されていたので、映画でも看たら少しは気持ちもほぐれるのではないかと思い、誘ってみたのでした。
神戸を舞台に、戦前から戦後にかけてのH少年とその家族を描いた作品でした。
神戸大空襲で被害を受け、家が焼けていく中、必死で火を消そうと水をかけたり、家業のミシンを運び出そうとするH少年の姿がとてもリアルに描き出されていました。
映画を観終わった後叔母はとても興奮して、小学校1年生の時に体験した東京大空襲の話を非常にリアルに語ってくれたのでした。
あれから10年も経ってしまったので詳細は忘れてしまったのですが、燃え盛る炎の中をお母さん(私からみると義理の祖母)の手を握りしめて逃げ、何とか死なずに生き延びることができたこと。
翌朝、お母さんの実家のある千葉の茂原に向かったそうです。
道路は炭と化した遺体がびっしりで、お母さんはそれを叔母に見せまいとして目隠しをして、都心から茂原にたどり着くまでずっと叔母を負んぶして、一度も下ろさなかったと話してくれました。
叔母はお母さんの背中の上でこっそりと目隠しをずらし、どこまでも並ぶ遺体を眺めたこと、茂原にたどり着いたとき、お母さんの足はひどく浮腫んで、まるでゾウの足のようだったとも話してくれました。
私は東京大空襲の被害者の話を聞いたのは初めてだったのでとても衝撃で、その光景をリアルに想像してしまいました。

コロナ禍の影響もあり、こういう小さなお葬式が増えているのではないかと思います。
高齢化が進み、これからは人口減少社会、亡くなる人がますます増えていくと思われるので、こういう小さなお葬式がますます重宝されると思うのです。
私もパートナー君も葬儀もお墓も「いらない派」です。
戒名も読経も全然いらないし、お線香もいりません。
一番の望みはモルディブの海に散骨してもらいたいのですが、それは息子たちにきっぱりと断られてしまった(お金がかかり過ぎるらしい💦)ので、静岡の海でもいいし、樹木葬もいいなぁと思います。
仏壇もいりません。
そういうことよりも、亡くなったその人を忘れないことの方がずっと大切だと思います。
忘れずに、時々思い出して誰かと語り合う・・・。
それが一番温かいお見送りだと思います。