『物語 ウクライナの歴史 ヨーロッパ最後の大国』

2022年06月05日

昨日読み終えたのは『物語 ウクライナの歴史』(黒川祐次著 中公新書)です。

4月に吉川市在住、早稲田大学名誉教授の伊東一郎先生をお招きして「ウクライナの歴史と文化」についての学習会を開催しました。
その時のレジメに参考文献としてこの本が記されていて、読み始めました。

ウクライナの肥沃な大地は紀元前の昔からヨーロッパの「パンかご」であったこと。
他のヨーロッパ諸国が国教としてローマ・カトリックを選んだ時代にキエフ・ルーシ公国はギリシア正教を国教としたことで、他国との「政治的・文化的断絶を生んだ」こと。
こうした背景のもとで、ウクライナは侵略と分割・蹂躙の歴史を繰り返してきたこと。
特にロシアとは「キエフ・ルーシ公国」は誰のものか、ロシアとウクライナ、どちらの歴史に帰属するものなのか、直径の後継者はロシアなのかウクライナなのかという歴史・文化的に非常に重い課題があるということ。
それは「ウクライナはロシアの一地方に過ぎないのか、それとももともと独立した一つの国家だったのか」という問題で、民族のアイデンティティとしては非常に重要な課題なのだろうと思いながら読みました。

ウクライナの人々の独立への願いは凄まじいもので、かつてのソ連も「危険視」していたとのこと。
第一次世界大戦でも第二次世界大戦でもウクライナは甚大な被害を受け、同じウクライナ人でありながらドイツ側とソ連側に分かれて血と血を流しあった歴史。
チェルノブイリ原発事故も含めてウクライナには言葉に尽くせぬ苦難の歴史があり、ソ連崩壊後にようやく手にすることができた「独立」。

ロシアのウクライナ侵攻は一刻も早くやめてほしいと思いますし、これ以上民間人を犠牲にしてほしくありません。
国と国との紛争を武力で解決しようという姿勢そのものが非常に原始的であって、21世紀の社会のあるべき姿からはかけ離れたものだと思います。
が、なんでこんなことが起きていて、しかも3カ月以上たっても終わらないのかということについては、改めてよくわかる一冊でした。

そうそう、ずいぶん昔に『鋼鉄はいかに鍛えられたか」という小説を読み、興奮したことをはっきりと覚えています。
小説の中身は忘れましたが、著者のニコライ・オストロフスキーもウクライナ人だったということを初めて知りました。
シベリアに抑留された日本兵の中にはウクライナに連行された人も約4,000名いて、そのうち211名がウクライナで亡くなっているということ。
ハルキフ・アルテミフスク間の道路は日本人抑留者が創ったもので、「日本道路」と呼ばれていたことも初めて知りました。

それから本の中で、ボープランという方が描いた16世紀の頃のコサックの国民性や生活についての描写の要約が紹介されています。
「彼らは非常に頑健で、暑さ、寒さ、飢え、渇きに容易に耐える。戦いには疲れしらずで向こう見ず、自分の命を惜しまない。彼らは才気があり、器用である。また美しい体躯をもち、はつらつとしている。そして健康で、高齢者以外は病気で死ぬ者は少ない。もっとも、大部分のものは「名誉の床」すなわち戦場で死ぬ。
キリスト教徒の中で彼らほど明日を心配しない術を身につけているものはいない。彼らはその時飲み食いするものがあれば十分である。自由を愛するあまり反抗しがちであり、君主が彼らを手荒く扱うと、すぐ反乱を起こす。したがって反乱なしで7、8年が過ぎることはまれである。
世界の諸民族の中で彼らほどの飲兵衛がいるとは信じられない。しかしそれも暇なときの話で、戦争や何かの企てがあるときは驚くほどしらふになる。」

それに続くコサックの結婚式の話は衝撃的です。
「コサックの結婚式は次のように行われる。新郎側の女たちが新婦を真っ裸にして耳の穴や紙の中、指の間など体の隅々まで調べる。新しい純白の寝間着を着せ、二枚のシーツの間に寝かせて、新郎が来るのを待つ。女たちはカーテンを引き、死期に参列した大部分のものが部屋に来て笛に合わせて踊り、手を打ち、杯をもって、新婦が喜びのサインを示すと集まった者たちのすべてが飛び上がり、手をたたき、歓声をあげる。新郎新婦はシーツを彼らに渡し、そこに処女のしるしを見つけると家中が極度の喜びと満足の叫びに充たされる。
反対にもし名誉のしるしが出てこなかった場合には、皆は杯を床に投げつけ、女たちは歌うのをやめる。お祝は台無しになり、新婦の両親は名誉を傷つけられる。式はただちに中止され、家の中で人は暴れる。新婦の母親に対して数々の野卑な歌が歌われ、壊れた杯で酒を飲ませ、娘の名誉を守らなかったとして非難する。そして最後にありとあらゆる罵詈雑言を浴びせて各自家に帰る。
新婦の両親は家に引き籠り、当分出てこない。新郎はそれでも妻として認めるか否かの選択権がある。もし妻とするなら、新郎はあらゆる中傷を覚悟しなければならない。
結婚式の翌日も愉快な行事がある。男たちは新婦がまとった着物の袖に棒を通し、それを裏返しにして、あたかも戦いの名誉のしるしを示す戦旗のごとく翻して厳かに通りを練り歩く。こうして村中が新婦の処女性と新郎の男性能力の証人になる。」

ですって(@ ̄□ ̄@;)!!
こういう男性能力と女性の処女性を重視する文化は世界のいたるところにあるように思いますが、コサックの人々のそれはあまりにも激しく、現代人の私には不愉快にしか思えないものでした。
生きている時代が違うので、仕方のないことですが💦