「パレスチナ紛争に至る歴史」について学びました
2018年に旧満州視察を機に立ち上げた「東アジアの平和を考える会」。
翌年には韓国にも視察に行きましたが、コロナの影響で2020年以降は活動が停滞していました。
改めて東アジア、アジアの平和を考える会として学んでいこうという話し合いをし、今日から活動再開です。
今日は「イスラエル・パレスチナ紛争に至る歴史について」、近現代史研究家の柴山敏雄さんにお話をしていただきました。
私は紛争の一番のおおもとは宗教問題だと思っていましたが、そうではないということがよく分かりました。
2000年前にローマがパレスチナを征服した時に、ユダヤ人が世界各地に離散したこと。
他人にお金を貸してその利息で儲けることを禁じているキリスト教社会の中で、土地を持たないユダヤ人は金融業で生き延びる人も多かったということ。
第一次世界大戦の時にイギリスは三枚舌を使ったということ。
つまりイギリスは「アラブの独立」を盾にアラブ人に戦争協力をさせ、ユダヤ人にも「民族郷土」を盾に戦争のための資金援助を求め、裏ではフランスとその地を分け合う約束をしていた・・・Σ(・ω・ノ)ノ!
そして1947年、国連はパレスチナ総人口の3分の1しかいないユダヤ人、またパレスチナ総面積の7%しか所有していないユダヤ人に全土の57%の土地を与えるという分割決議をしてしまい、それが最初の争いのきっかけとなり第一次中東戦争が始まったということでした。
「シオンの丘に帰りたい」「パレスチナの地をユダヤ人に」というシオニストの主張を一方的に受け入れた軽はずみな国連決議こそがパレスチナ問題を深刻化させた最大の要因とのお話でした。
数百万人に及ぶパレスチナ難民はもうパレスチナの地に戻ることはできないし、イスラエルに住むユダヤ人ももうその地を離れることはできない。
どのように平和的に共存していくのかが問われるけれど、イスラエルは今極右政党が支配し、パレスチナも長年心血を注いできたアラファト議長が亡くなり・・・。
ハマスは単なるテロ組織ではなく、ガザ地区では選挙で最も支持されている政党で、福祉にも力を入れているとのこと。
9.11以降アメリカは徹底的にテロを許さない姿勢を崩さず、そのアメリカはイスラエルを支持。
イスラエルもテロを恐れてハマスを攻撃・・・
どこに平和の灯を見つけたら良いのか増々わからなくなりましたが、貴重な学習会でした。