「配属ガチャ」

2024年04月21日

最近はいろんな「ガチャ」があるようで、私の中での最新の「ガチャ」は「配属ガチャ」です。
「ガチャ」は本当に運命第で、「親ガチャ」とはよく言ったものだなぁと正直感心しています。
何度も書きますが、私の父親はただただ怖いだけの人でした。
子どもの頃は「親に大切にされている」というような実感も全くありませんでした。
ただ、そういう家庭に育ったからこそ今の自分があると思うと、全てがダメだった、「親ガチャ」は外れだったと言ってしまうことはできません。

これも何度も書きますが、私は社会人の第一歩を精神科病棟の看護師として踏み出しました。
精神科病棟への配属は第7希望でした。
当時の私は新卒の看護師らしく、第一志望は救命救急センター、第二志望は循環器センター、第三志望は血液センター、第4志望は呼吸器センターでした。
そして第5・第6志望に内分泌内科と小児科くらいを書いたような気がします。
でも、私は一番最後に書いた精神科病棟に配属されました。
多分学生時代の私の成績が悪すぎて、とても第一線の救命救急センター・循環器センター・血液センターなんかに配属することはできないと思われていたのだと思います。
だって、看護学校に入学して一番最初の授業が解剖学(@ ̄□ ̄@;)!!
それも教科書をただボソボソと読むだけの授業で、何一つ興味を持つことができませんでした。
そして私の苦手な生物学に物理学に薬学に生理学に・・・💦
その看護学校の受験科目が英数国だったから受験したのに、ほとんど全ての授業が理系の科目💦
文系の私には、全く興味も関心も抱くことのできない授業ばかりでした💦
それでも何とか卒業し、国家試験もパスした私💦
パスした以上採用しないわけにもいかないけれど、「こいつは信用できない」と病院側が思うのは今思えば当然のことでした💦

そんな状況で私は精神科に配属されたわけですが、私はすぐに精神科看護の仕事にすっかりとはまり込みました。
精神疾患を患い、苦悩する方々のその苦悩を理解し、共感し、共に悩む日々は私にとってはとても貴重なものでした。
そこで培った「受容する力」「共感する力」は、今もそうですが、その後の仕事を支える大きな力となりました。
今では、精神科病棟で働いた経験こそが自分にとっての強みだとさえ思うようになりました。
そういう意味で、私の「配属ガチャ」は大成功でした。

3月に役職定年を迎えた戸張元総務部長も3月議会の最終日、役職定年の挨拶の中でおっしゃっていました。
就職して最初に配属されたのが水道課で、当時は水道課の職員が水道メーターのチェックに一軒一軒回っていたそうです。
カブに乗って毎日毎日市内を走り回っていたそうです。
「この家、急に水の使用量が増えたなぁ」と思うとオムツが干してあって、あぁ子どもが生まれたのかと理解する、一軒一軒の暮らしを水道使用量と結びつけて理解する力を養うことができたと。
また市内全体を詳しく理解することにも繋がり、そういうことが定年までの仕事を支えることに繋がったと。

「配属ガチャ」、望まない部署に配属されることも当然あると思います。
どうしてもそれが納得できなくて、自分に合わなくて、辞めるという選択ももちろんありだとは思います。
苦しくなってまで頑張る必要はありません。
ただ何がその後の人生のプラスになるかは、誰にもわかりません。
あちこちに置かれている、お金を入れてガチャっとする「ガチャ」とは違って、「親ガチャ」も「配属ガチャ」も多分もっと色々とある人生そのものにかかわる「ガチャ」の答って目には見えないものなんじゃないかと思います。
人生を通して答が出てくるもので、目の前にある現実だけで「当たり」「はずれ」と答えを出してしまうことには少し抵抗を感じてしまいます。

もちろん、ひどい現実もあるとも思います。
人を人とも思わないようなブラックな環境なら、それはもちろん「はずれ」だと思います。