『もう一つのひめゆり部隊-戦後沖縄の売春婦―』

2024年11月05日

連休中に本箱の整理をしていて見つけた一冊。
新婚旅行で行った沖縄で購入した本です。それから早○○年Σ(・ω・ノ)ノ!
未だに読んでいなかったことに気付き、慌てて読みました。

そしてサクサクと読める内容だったので、数時間で読み終えてしまいました。
「どうしてこんな本を今まで読まずに来てしまったのだろう」と思いながら読み進めた、とても胸の痛むお話でした。
最後の最後に沖縄出身の元アイドルの話が出てきて、「あーーーっ!!この本、ずっと前に読んだ!!!」と気付きました(@ ̄□ ̄@;)!!
なんで読んだことすら忘れてしまっていたんだろう???
多分当時は敗戦後の日本で女性たちがどういう状況に置かれたのか、あの戦争は何だったのか、そういう知識と理解が今とは全然違っていたので、本を読んでも著者が何を言おうとしているのか、全く理解できなかったのだと思います。
ある意味、○○年かけて私もそれなりに成長したのだとも思います。

『もう一つのひめゆり部隊 戦後沖縄の売春婦』(富村順一著 JCA出版)。
沖縄戦の犠牲者であるひめゆり部隊が自決した壕は今は観光地となっていて、沖縄を訪れた人の多くが訪れる場所です。
ひめゆり部隊は「天皇のため、お国のために犠牲になった乙女たち」と語り継がれています。
しかし本当に戦争の犠牲になり、沖縄のために尽くし、人生の長きに亘って苦しみ続けた女性たちは誰だったのか。
米兵に強姦され、生まれた子どもが青い目をした子どもで、嫁ぎ先を追い出された女性。
戦後の混乱の中で働き口もなく、子どもや幼い弟妹を養うためには身体を売るしかありませんでした。
米兵6人に強姦され、決まっていた縁談が破談となり、働き口もなく。女性が一人で生きていく道は、やはり身体を売るよりほかにありませんでした。
しかも美人なら白い肌の米兵、そうでなければ黒い肌の米兵と売春の世界にもヒエラルキーがあり。
同じようにハーフの子どもを産んでも、青い目をした子どもはみんなに注目され、黒い肌の子どもは蔑まれる。そんなヒエラルキーが日本にもある・・・。
例えば10ドルで身体を売ると、女性の取り分は3ドル。5ドルは店主が取り、残りの2ドルはポン引きが取る。
店主は女性たちに派手な洋服や家具を買い与え、それを女性たちの借金として女性たちを借金地獄に陥れ、売春をやめられない状況をつくり上げる。
そうしてお金を稼いだ店主たちはいつしか地域の重鎮となっていき、その子どもたちは女性たちが身体を売って稼いだお金で内地の大学などの行き、良い仕事に就いていく。
一方で身体を売っていた女性たちは売春防止法ができて犯罪者として扱われ、肩身の狭い思いをしながら人生を生きていく・・・。
だけどあの時代、女性たちが身体を売って外貨を稼がなかったら、その後の沖縄の繁栄はなかったに違いない。
当時男性が農作業に出ても週に20~30ドルしか手に入らなかったのに、身体を売った女性たちは1日で20~30ドルを稼いでいた。
沖縄が日本に復帰した時に3億ドルが日本円に替えられたそうですが、そのほとんどは身体を売った女性たちが稼いだものではなかったか。
たばこの専売公社も当時の沖縄にはなく、また石鹸工場もありませんでした。
それでも多くの人がたばこを吸い、石鹸で手を洗うことができたのは何故だったのか。
全て身体を売った女性たちから得たものではなかったか。
身体を売った女性たちを犯罪者扱いにして蔑むのではなく、敬意を払わなくてはいけないのではないか、そんなことを訴えている一冊です。
読みながら、ふと『サンダカン8番娼館』を思い出しました。
サンダカン(マレーシア)に送られた女性たちも身体を売らされ、外貨獲得の上でとても重要な役割を果たしました。
が、ある程度外貨を稼ぐと穢れた人のように扱われ、とても切ない人生を生きたことが映画で描かれています。
女性の身体を金で買うということ自体が、正直全く理解のできない話です。
そして女性が身体を売らされ、しかも身体を売った女性たちがまるで穢れているかのようにぞんざいに扱われるこの男性社会!!!
腹立たしくてなりません。