『ゲルニカ』

2020年05月17日

今日読み終えたのは、『ゲルニカ 無差別爆撃とファシズムのはじまり』、早乙女勝元著、新日本出版です。

今年2月に発売され、しんぶん赤旗でも繰り返し宣伝されています。
読みたいなぁと思っていたのですが、一昨日日本共産党埼玉東部南地区委員会に行ったら玄関先に置いてありました。
すぐに買ってきて、読みました💦

一昨年、旦那クンと二人でマドリードを旅行し、ソフィア美術館でピカソの『ゲルニカ』を観ました。
「心震える」いや、「魂が震える」。
そんな言葉が浮かんでくるような、ものすごい迫力でした。
ゲルニカの爆撃とは何だったのか、一度しっかり勉強したいと思っていましたが、この本を読んで少し理解することができました。

ナチス・ドイツによるゲルニカ爆撃は、国際法違反の「一般市民を対象にした残酷な無差別爆撃」でした。
それはやがて、東京大空襲にも繋がっていった攻撃方法でした。
でも実は、ナチスのゲルニカ爆撃よりも6年も前の1931年に、日本陸軍航空隊が中国の遼寧省錦州を攻撃し、75発の爆弾を投下。市街地の病院や学校などが被弾し、市民を主に24人の死傷者を出し、日本は国際的な批判を受けていたということです。
しかし日本軍は錦州攻撃を振り出しにして、中国諸都市への無差別爆撃を繰り返し、国際批判も歯止めにはならなかったとのこと。
日本軍のそうした戦い方がナチス・ドイツの戦闘方にも用いられ、そしてそれは時を経て東京大空襲、日本国民の大変な被害へと繋がっていったという事実を初めて知りました。

太平洋戦争中、日本が受けた本土爆撃は大半が焼夷弾攻撃でした。
「都市の人員殺傷に重点を置く戦略爆撃に焼夷弾の効果が絶大とされたのは、爆風や破片によって部分的被害を与える爆弾に対して、焼夷弾は火焔を広範囲に広げ、しかも長時間にわたる持続的破壊力をもたらすから」とのことです。
ゲルニカに落とされたのも焼夷弾でした。

ゲルニカへの攻撃は「未曽有の残酷さで、無防備な一般市民を対象に三段階に分けて行われた」そうです。
「まず最初に町なかの建造物を破壊する250~300キロ爆弾が投下され、恐ろしいパニック状態の直後を狙って、集中的に焼夷弾が落とされた。すさまじい火煙の渦巻く中、次は逃げ惑う人々に向けての機銃掃射だった。
こうして250~300キロ爆弾30個、50キロ爆弾260個、1キロ焼夷弾5472個、合計29トンもが、この街の人びとの頭上に降り注いだのだった」。
本には、こう記されています。

ピカソの描いた『ゲルニカ』は、こういう戦争に怒りを込めて描き出した作品だからこそ、あんなにも胸打たれる、心震える作品だったのだと改めて学びました。