『心なき精神医療を父が裁く』

2023年06月24日

もうずいぶん前の話になってしまいましたが看護学校を卒業して、その学校が付属していた病院にそのまま就職して社会人1年生になった時、私が配属されたのは精神科病棟でした。
就職するときに私は卒業したての看護師らしく、救命救急センターや循環器センター・呼吸器センターなどを希望し、第7希望に精神科と記載したのですが、配属されたのはその第7希望の精神科病棟でした。同じ看護学校を卒業した同級生、5人が一緒に配属されました。
今考えるとそれは、とてもラッキーな社会人生活のスタートでした。

精神科病棟の勤務でとても楽しみにしていたことは、夜勤の時にカルテをゆっくりと読むことでした。
当時のその病棟には10代~20代の若い患者さんがたくさん入院されていて、統合失調症の方が最も多かったと記憶していますが色んな病気の方が入院していました。
若さも手伝ってか精神的にひどく興奮して、突然食堂の椅子を持ち上げて窓ガラスを割り始める患者さんもいたり、心に残る色んな事がありました。ただ、そういうことがあると誰か看護師か主治医が必ずそういうびっくりするような行動をとった患者さんとじっくりと話をしていて、あぁ!この方はこんな気持ちだったんだなぁとか、いつもはクールに見える先輩看護師がこんな風に熱い気持ちで患者さんを見ていたのかと思いっきり学ばせられることが、カルテにびっしりと綴られていました。
医師のカルテも、先生はこんな風に患者さんを見ているのかと学んだり。心理療法士の心理テスト結果もなるほどなぁとか、そうだったのか!と思ったり。カルテを読むのは、とても楽しいことでした。
そして同級生だった同僚や、たいして歳の違わない先輩たちの仕事ぶりをカルテを通して学ぶにつれ、「私も負けないように良い仕事がしたい」「患者さんから信頼される看護師になりたい」「患者さんに本音を語ってもらって、それを受け止められる看護師になりたい」そんな思いを日々強くしていました。
そんな風に過ごした日々はその後の私の看護師としての仕事にも、人生そのものにも大きな影響を与えてくれました。

『心なき精神医療を父が裁く』(竹内實著 現代書館)を読みました。

息子さんが22歳で統合失調症を発症し、10年後に医師と看護師に暴力をふるって保護室に入れられ、保護室で首を吊って自殺したという、耳鼻科の医師が書いた本です。
患者さんの主訴や苦しみに寄り添う前に処方ばかりが先走りして、強制入院や保護室への隔離がまるで懲罰のように行われ、医師も看護師も誰一人として患者さんの不安や苦悩を理解しようとする人がいない(@ ̄□ ̄@;)!!
自殺の兆候が見えていたのに、誰もそれを止めるための手立てを取らず(@ ̄□ ̄@;)!!
お父さんは司法に訴えたのに、その訴えすら法廷でまともに取り上げられることもなく(@ ̄□ ̄@;)!!

精神科医療のこんな現実を心から悲しく思っています。
精神科の患者さんは何をするかわからないから薬漬けにして自由を奪って、隔離しておけばいい。未だに日本にはそういう発想があります。人権意識の乏しさが、精神医療の貧困さに如実に表れているのだと思わずにはいられません。

この本の120ページには、『精神医療に葬られた人びと』(小田純一郎著 光文社新書)を引用したこんな記述がありました。
「そもそも精神病院とは国家権力機構の一機関です。歴史的にも社会保安や防犯の一翼を担ってきたし、その体質は今もそう変わっていません。精神病院は患者に治療を行う一方、彼らが世間で何かコトを起こさないよう管理する役割を果たしてきた。本来あるべき医療や支援体制などをきちんと整えさえすれば、保安的役割なんぞほとんど必要なくなるんですがね。
しかし実際はそういう方向にはいかなかった。多くの精神病院は管理・監視の方を優先させてきたんです。その結果、精神病院では患者に規則や規制を滅多やたらに課せられるようになった。(中略)精神病院は鍵と鉄格子という武器で患者を思いのままに支配してきたわけで、それがいわゆる『専門家支配』です。
(中略)もし患者がコトを起こしたりすると、国が要請する防犯・保安に病院が応えられなかったことになるので、なおさら医療者は管理主義に走ってしまう。長期入院や社会的入院者が生産されていく背景には、精神病院の経済的囲い込み体質の他に、そんな治療者側の自己防衛も要因として挙げられるでしょう。この『人が人を支配する構造』は、昔も今もそんなに変わっていないんですよ」。

なるほどと思います。
そして2001年WHOの国際共同研究では、先進国では統合失調症は症状が長引く「慢性病」に見えるけれど、途上国を含め地球規模で見るとこの病気はすぐに良くなって、時々再発する「再発病」とのことです。ストレス病の一種で「精神的混乱が時々起こる(時に長引く)病気」とみるのが一番良いという、八木剛平著『統合失調症の薬がわかる本』の一文も紹介されています。

イタリアでは精神病院をイタリア半島から完全になくしたそうです。「患者を人間扱いしよう」と、収容するのではなく地域で支える方式に切り替えたということです。
人間社会における精神疾患の人々に対する収容隔離の歴史は長く、イタリアの取り組みもまだまだ道半ばとのことですが、日本とイタリアとでは決定的に違う点があるとのことです。
それは、イタリアの精神保健法には「自傷他害の疑いで入院させるという条項がない」ということです。日本の精神保健福祉法には自傷他害の疑いがある患者の「自由を奪う権利」が精神科医に与えられていて、イタリアにはそれがないということです。
「精神科医が治安の責務から解放され」、「精神科医が警察の役目を捨ててこそ、患者と良い関係が築ける」。
怖い監獄医療と手を切って、当事者が普通の市民として医療的支援が受けられるような、新しい精神保健に道筋をつけたのがイタリアの取り組みはWhOからも「持続可能な推奨モデル」とお墨付きをもらっているそうです。

日本の精神科医療も変わっていってほしいと心から願います。