『東大教授、若年性アルツハイマーになる』

2022年07月14日

昨日友人から頂戴した『東大教授、若年性アルツハイマーになる』(若井克子著 講談社)。
家に帰るなり読み始め、あっという間に読み終えてしまいました。

友人の「面白い」との言葉通り、本当に面白い本でした。
題名の通り、東大教授であり脳神経外科医だった著者のパートナーさんが50歳を過ぎたころにアルツハイマー病を発症し、パートナーさんの葛藤や闘病生活を支えた著者さんの思い、そして二人の生活を描いた本です。
認知症になれば何もかもわからなくなって、さぞかし気楽だろうと思う方も案外たくさんいらっしゃいます。
でも本人は発病当初から「何かおかしい」「もしかしたら・・・」「いやいや、自分に限ってそんなことがあるはずはない」「それだけは絶対に嫌だ」ともがき、苦しみながら認知症になった自分を受け入れ、闘っていく・・・。
そういう事実を、多くの当事者が語り始めて久しい・・・。

この方も2001年には漢字が書けなくなった自分に気付き、慌て、日記を書きながら漢字練習を繰り返し、同じような思いを抱きながら、徐々にアルツハイマー病である自分を受け入れていきます。
感動したことがたくさんありましたが、特に印象に残ったことを2つ。
一つは「アルツハイマー病になると人格が変わる」と言われているけれど、「ちょっと違うのでは」との著者の実感。
「確かに空間認知や記憶の面で障害が出ています。そのせいでできないことが増えたのは、これまで長々と書いてきたとおりです。しかしそれは、生活の『技術』の問題に過ぎないのではないか?支障が出て困るから、人格が変わったように見える、そういうことではないか?だから人間性が壊れるわけではないと思うのです。むしろ、返って深まるものもあるのではないかー。例えば晋の場合は正義感、優しさ、謙虚さ。そして信仰も深まったように私は感じていました」という著者の実感。
私も在宅介護の仕事にそれなりに長く従事して、たくさんの認知症の方とも出会いましたが、著者の言わんとするところ、理解できる気がします。

もう一つは、ご本人の「私は私であることがやっとわかった」との言葉です。
この本の中にも出てきますが、以前オーストラリア政府の最前線で活躍していたボーデン・クリスティーンという女性が若年性アルツハイマーになり、その体験を記した著書を発表しました。
タイトルは『私は誰になっていくのか』。
この方は日本にも何度も訪れ、世界中で講演活動を展開された方だと理解しています。
そして後年この方が書いた著書、第2弾は『私は私になっていく』だったと思います。
その話と相通じる話だと思いました。
ある講演会でご本人が語ったことは、「私がアルツハイマーになったということが、自分にとって最初は『何でだ』と思っていました。けれども私は私であることがやっとわかった。そこに至るまでに相当格闘してきたわけですけど。・・・・」。
認知症になったからと言って、その人の尊厳が失われるわけでは決してない。
認知症になったという事実も含めて、「私は私なんだ」という事実の重さ。

それからあともう一つ。
アルツハイマー病であることを公表したパートナーさんには、多くの善意の眼が向けられたかと思います。
でもみんなご本人に何を話したらよいかわからず全然別の世間話をしてみたり、パートナーさんにだけ話しかけてみたり。
こういうシチュエーション、十分に想像できます。
でもご本人が求めていたのは「たいへんだったなぁ」というごくごく当たり前の言葉であり、誰もその言葉を言わないというのはやはり心の中に「わからないだろう」という思いもあり、同じ人間として対峙することを忘れる。
結果としてご本人を人間として扱わないという現実・・・。
同じ人間であればこその労いの一言、忘れてはいけないのだと思います。

こうしたことを理解して対応することこそ、「個人の尊厳」ということなのかなあと改めて思いました。
良い本を読みました。