『福祉は誰のために』

2020年03月24日

昨日・今日で読んだのは、『福祉は誰のために ソーシャルワークの未来図』(鶴幸一郎/藤田孝典/石川久展/高端正幸著 へるす出版新書)です。
この間読んだ本の中で紹介されていたので、何となく興味をそそられて読んでみました。
期待は裏切られませんでした。
面白かったです(⋈◍>◡<◍)。✧♡

鶴幸一郎さんは、こう書いています。

一般的に「福祉」は社会福祉と呼ばれ、その意味するところは障がい者や生活困窮者、介護を要する高齢者など、所謂社会的弱者が「よりよい生活」や「当たり前の暮らし」を自助努力によって維持・確保することが難しい状況に対し、社会的な努力によってそれを援助・支援することとされている。そして、その援助や支援は、ソーシャルワークといわれている。
「福祉」というのはウェルフェアWelfareの訳であり、Wellというのは「快い」「健全に」、faretというのは「暮らす」「やっていく」というような意味を持っている。こういうウェルフェアに対するソーシャルな努力、あるいはソーシャル・ポリシーを「社会福祉」と呼んでいる。

ソーシャルワークというと高齢者や障がい者、子どもや貧困者など社会的弱者に対して制度を活用してその生活を支援するというような印象が強くあります。
しかし鶴さんが言っているのは、ソーシャルワークも社会福祉もそんな現実対応レベルの底の浅いものではないということ。もっと社会全体に働きかけ、社会を変えていく力を持つものだと言っています。
そして、

「日本におけるソーシャルワークは、実践者たる福祉専門職がその展開を行う以前に、国が指し示す政策や国内法によって、その範囲を矮小化及び限定化され、ソーシャルワーカー自信がその矮小化・限定化された中で行う実践をソーシャルワークであると誤認させられている」と書いています。

その背景にあるのは福祉従業者の低賃金・非正規職員率の高さ、更に福祉政策は女性の労働参入を前提に展開されてきたというジェンダーの問題があると指摘しています。

藤田孝典さんは、
「やってあげること」「してあげること」は権利擁護ではなく、本質的なエンパワメントや問題解決にたどり着かない。当事者の権利擁護を通じて社会を変えていく運動を展開すること抜きに社会は変らない。ソーシャルワーカーは、この運動を共に伴走する立場で関わることが必要だと書いています。
ソーシャルワーカーは、権利擁護をしていく中で、社会をより住みやすい環境にしていく仕事だと。

社会福祉の仕事は、実はとても壮大な社会変革をも目指す仕事なのだと学びました。
しかし、今の社会福祉は「公助」よりも「自助」「共助」を強く求める傾向があります。
こうした状況についても、藤田さんはこう書いています。

子どもの貧困は、社会保障や社会福祉制度の不足でしか発生原因の説明がつかない事態ともいえる。いわゆる「公助」領域の不足である。この充実なくして、貧困や格差、生活困窮の問題は解決しない。しかし相変わらず「共助」で何とかなるのではないか、公的責任を縮小していきたいという思惑が垣間見える。
このように転倒した社会福祉の現状は、生活保護世帯への支援など国が行うべき給付、いわゆる「公助」を削減し、地域の絆や支え合いなどを活用した「共助」にシフトしてきていることに特徴がある。地域住民の支え合いと聞いて、否定することが難しいくらい「いいことだ」と直感で思ってしまう。近年の政府方針は、予算不足を言い訳にして、この「いいこと」を巧みに利用して「公助」削減に取り組んでいる。

本当に、その通りだと思いました。
その一番良い例が子ども食堂だと思います。
私も地域の子ども食堂のお手伝いをさせていただいています。本当に今求められている、大切な活動だと感じています。
が、本来は国や県や市が子ども食堂なんていらない、子どもの貧困など問題にもならない社会をつくらなくてはいけないのだと思います。
それをしないで、「いいこと」だと、子どもたちの貧困、食の問題を住民任せにしていく・・・。
これは大きな間違いだと思います。
国や県や市が、本来やるべきことが放置されていいわけではありません。
そしてそういう取り組みを、国や県や市に求めていく、当事者の代弁者として、当事者と一緒になって求めていく、それがソーシャルワーク、社会福祉の仕事だと学びました。

良い本と出会いました(⋈◍>◡<◍)。✧♡