『統合失調症がやってきた』

2020年03月31日

昨夜遅くに読み終えたのは、『統合失調症がやってきた』(ハウス加賀谷 松本キック [松本ハウス] イースト・プレス)でした。
この本は、数年前に本屋さんで偶然見つけて興味を惹かれて購入し、またまた本箱の肥やし、積読状態になっていた本です。
新型ウィルス感染拡大でたくさんの会議やイベントが中止になり、時間的にはゆとりが生まれています。
たくさんの本を読んで、とにかく勉強しようと思っています。

この本は統合失調症患者さんであるお笑いタレントのハウス加賀谷さんが、ご自身の体験を記したものです。
正直、お笑い番組はあまり見ないので、ハウス加賀谷さんも[松本ハウス]というコンビも全然知りません。
帯に記されたハウス加賀谷の紹介を読むと、かつての人気番組「ボキャブラ天国」に出演していたそうです。

中学2年生の夏休み前のある日突然、クラスの仲間たちから「臭い」と思われているとの思いにとらわれてしまい(自己臭妄想)、「臭い」との幻聴に悩まされたハウス加賀谷さん。
後ろに誰かいると、その臭いで迷惑をかけてしまうと思い込み、廊下を歩くにも壁に背をつけて、カニの横ばいのようにしか歩けなくなってしまったそうです。
「臭くてごめんなさい」「迷惑をかけてごめんなさい」という思いから、追い詰められ、孤独に陥って行ったハウス加賀谷さん。
当時の進路希望は、ホームレスになることだったそうです。

高校に進学しても幻聴に苦しみ続け、おまけにある日廊下を歩いていると突然、廊下が大きく波打ちハウス加賀谷さんをのみ込まんとする勢いで迫ってきた・・・。
そんな幻覚症状も出現して、学校に行けなくなりました。

グループホームに入り約1年生活する中で、幻聴・幻覚がなくなり、状態が安定する中で、ハウス加賀谷さんはこれから先のことを考えるようになりました。
そして漫才をやりたいと考え、その目標に向かって歩き出しました。
松本キックさんと出会い、「松本ハウス」というコンビを結成し、二人の芸は人気を博していきました。
人気の一方で、「障がい者を舞台に上げていいのか」とか、ハウス加賀谷さんに向かってあからさまな差別用語を口にする人もいて、決して順風満帆だったわけではありません。

「ボキャブラ天国」への出演を機に仕事が忙しくなり、取材・CM・本の出版・イベント・営業と仕事が増え、休みがなくなっていきました。
人前に出ることによって症状が良くなり、幻覚や幻聴も出ず、頭がクリアになっていく・・・。
そんな状況の中で、ハウス加賀谷さんは薬の量を自分で勝手に調節してしまいました。
調子がいいから減らす、眠れないから増やす。
処方された薬を自己判断で、気分に応じて飲む。
少なすぎる日もあれば、死にたいのかというくらい多すぎる日もある・・・、そんな状況だったそうです。


統合失調症は処方された薬をちゃんと飲むことが本当に大切です。
患者さん自身が薬を勝手に調節したり、飲まなくなることが病状の悪化に直結します。
きっとそういう知識がなかったか、知識があっても体調が良かったから、自分自身を過信してしまったのかもしれませんね。

ハウス加賀谷さんは、次第にまた幻覚や幻聴などの精神症状に苦しめられるようになり、恐怖に怯える日々に陥っていきました。
そしていよいよ仕事ができなくなり、その後7カ月の入院治療を余儀なくされました。
退院後も、幻覚・幻聴などの統合失調症の陽性症状はなくなったものの、感情鈍麻・集中力や気力の低下という陰性症状が続き、どんよりした気持ちの状態が続いたそうです。
その時、ハウス加賀谷さんがしていたことは読書だったそうです。
統合失調症の人が読書をするのは大変なことだそうですが、ハウス加賀谷さんは自分のペースを大切にしながら、週に3~4冊の割合で読み続けたそうです。
そんな状態が5年以上も続く中で、薬を一つ変えたことがきっかけになり、ハウス松本さんはどんよりとした気持ちから解き放たれるようになり、元気を取り戻していきました。
そして、芸人に戻りたいと願うようになっていきました。

それから3年かけて、規則正しい生活やウォーイングで体力の回復に努め、アルバイトで社会性の回復に努めました。
コンビ解散から10年を経て、キック松本さんとのコンビ[松本ハウス]を再結成し、お笑いだけでなく統合失調症への理解を広げるための講演活動などもしているそうです。
インターネットで検索しても最近の活動の様子が出てこないので、今現在どんな活動をされているのかはわかりません。

本を読んで、すごいなぁと思ったのは相方の松本キックさんのハウス加賀谷さんとのかかわり方でした。
世間知らず、異常なほどの遅刻の多さ、そして挙動不審。
松本キックさんは、ハウス加賀谷さんに対してそんな印象を持っていたそうです。
ハウス加賀谷さんが統合失調症と知っても、松本キックさんは「芸人として面白ければ何の問題もない」
「逆にまた、それも面白い」
「笑いが取れるなら、加賀谷のそこも見せていけばいい」
「ネタにできるならネタにしてもいい。お互いに漫才がやりたいんだし、面白いことをしたい。そこでつながっていれば、何の支障もない。」
そう考えたそうです。

ハウス加賀谷さんが統合失調症の陽性症状に苦しんでいた時に、松本さんが送ったメッセージは「簡単なことはするな」。
自殺するな、死ぬなんて安易な道を選ぶな、そういうメッセージをこんな言葉で送ったのです。
コンビを解散した後もハウス加賀谷さんを気遣い、ハウス加賀谷さんから退院したとの連絡が届くと、年に数回、ハウス加賀谷さんに負担がかからない程度に電話を続けました。
付かず離れずの、ちょうど良い距離を取り続けたのだと感じます。
そして、そんな関係を作って行ったことが[松本ハウス]の再結成へと繋がっていきました。

こういうことが「共生社会」ということだと感じます。
「誰もが相互に人格と個性を尊重し支え合い、人々の多様な在り方を相互に認め合える全員参加型の社会」。
キック松本さんのような距離感、すごく大切だと感じました。