『聞き書き ある憲兵の記録』
『聞き書き ある憲兵の記録』(朝日新聞山形支局 朝日文庫)。
読むたびに何となく気分が悪く、3カ月くらいかかってようやく読み終えました。
徴兵されて入隊、入隊した以上はせめて上等兵になって帰らなければ故郷で歓迎されない。
上等兵になるために涙ぐましい努力をしたのに、寵愛してくれた上官が亡くなってしまい、結局は上等兵への道が断たれてしまう。
それならばと憲兵に志願し、戦時中を憲兵として生きた一人の男性。
憲兵になっても、成績は至上主義。成績を上げるためにはでっち上げも、滅茶苦茶な拷問も、中国人を何人殺そうと、何人死のうと厭わない。他の憲兵よりも、他の隊よりも成績を上げることこそ大事。
そうして過ごした12年。
敗戦後シベリアに抑留5年、その後撫順戦犯管理所で6年。
撫順戦犯管理署で十分な食事を提供され、強制労働を強いられることもなく、人間らしい生活が与えられる中で、憲兵としての12年の間に自分が一体何をしたのかという事実がしだいに胸に迫るようになり、泣きながら心からの謝罪を口にするようになる・・・。
そうして戦後11年も経ってから、ようやく帰国が許される。
帰還後は山形で、そして全国でも語り部として自分の罪を語り続けた・・・。
そんな一人の元憲兵の語りをまとめた一冊です。ごくごく普通の一人の若者が、戦争という異常な事態の中で残虐な人間へと容易に変容してしまう。
拷問も中国人が死ぬことにも、いつの間にか慣れていってしまい、胸を痛めることもなくなり・・・。
戦争という特殊な環境の中で理性を失い、人が人ではなくなって行ってしまう、その恐ろしさが深く描かれています。
一つ驚いたのはアヘンの話です。満州国は1932年に阿片終売法を交付しました。
「アヘンを原則禁止としながらも、アヘン吸煙の収監がなくなるまで政府の責任でアヘンを供給する」という矛盾した趣旨の法律だったそうです。
1939年には、公営のアヘン吸煙所は全満州に1612カ所。吸煙所からのあがりは、この年の満州の税収の5.6%だったそうです。
中国人が何人アヘン中毒にかかり、苦しみ、死んでいったか・・・。
そこにも日本は全く無頓着で、むしろアヘン中毒者が多ければ多いほど満州国、関東軍の儲けにもなり、中国人を管理しやすくもなる・・・。そんな理論だったように読み取れます。どこまでも、ひどい話です。