『誰も書かなかった厚生省』

2020年04月25日

最近読み終えたのは、『誰も書かなかった厚生省』(水野 肇著 草思社)でした。
この本は、孫の子守で息子の家に行ったときに息子の本箱にこの本を見つけました。
「面白そうだね」と息子に言ったら、「共産党の地方議員なら、これくらいの本は読んでおくべきだ」と何故か上から目線で言われました💦
そんな経緯もあり、とりあえず読んでみました。

水野さんは昭和2年生まれの医事評論家です。
日本の医事の歴史的な経過にも明るく、医療保険審議会・老人保健福祉審議会・医道審議会等での委員も務めてきた方とのことです。
そういう方だからこその知見がたくさんあって、とても面白い本でした。
知らないことをたくさん知りました。

一番納得がいったのは、「国民皆年金」「国民皆保険」の話でした。
この二つの制度は、昭和36年自民党という保守政党がスタートさせました。
ヨーロッパなどの国々では、革新政党が政権を取ると社会保障が前進し、保守政党が政権を取ると社会保障は後退するということを繰り返してきました。
しかし日本では、自民党という保守政権が長期政権を続ける中で、社会保障も掌握してしまっている、この点が諸外国とは決定的に違い、政権交代が起きにくい構図を作ってしまっているということが、とても腑に落ちた感じがしています。

昭和30年(1955年)、民主党と自由党の合併、保守合同が行われました。直前には社会党の左派と右派の合同がありました。
1951年には日米安全保障条約が締結されていて、この合同の際には日米安保体制をどう維持するのか、保守政権の永続性をどう維持するのかということに自民党は意を注いだそうです。
そして、その一つとして登場したのが「国民皆年金」「国民皆保険」で、この二つの重要な社会保障を自民党が手中に収めたことによって長期政権を実現させてきたのだということがよくわかりました。


厚生省が内務省から独立したのは、日中戦争が勃発した翌年の昭和13年。
当時、結核は死亡率もダントツの第一位、患者数も多く、「亡国病」と言われていました。特に青少年の患者が多かったことから、富国強兵の立場から軍部は厚生省に結核対策の完遂を厳命したそうです。
そして厚生省は「健民課」を新設して、結核撲滅に対応していったそうです。
しかし戦時中の結核対策は、結核をどういうスケジュールで撃退するのかの具体策を全く立てることができず、死亡率も患者数も減らすことができなかった・・・。
当時できたことはサナトリウムのような場所に転地療養をすることくらいで、それが劇的に結核が治るというようなものでは全くありませんでした。

しかしその頃既に、イギリス・フランス・ドイツなどのヨーロッパ各国では結核は患者数も死亡率も下火になっていたそうです。
それらの国々で結核が激減したのは、実は栄養状態が改善されたからだったと分析されているそうです。
日本では昭和26年に患者が減り始め、昭和30年代前半には死亡率も患者数も激減していきました。
日本の結核学者も厚生省も、結核の特効薬「ストレプトマイシン」によるものだと考えていました。
私も、看護学校で昔そう学びました。
ところがアメリカのロックフェラー研究所のルネ・デュポス博士は、「日本の結核患者が激減し、死亡率も急激に下がった最大の理由は栄養の改善だ」と言っているそうです。
ストレプトマイシンを発見したワックスマンの高弟であり、自身も結核の研究で名を残している結核学者の発言。
なるほどなぁと思いました。

この本の初版は2005年です。
当時の小泉政権を強く批判する内容も盛り込まれています。
「社会保障政策も経済政策の中に取り込んで、『経済財政諮問会議』で議論する。このメンバーの大半は健康保険不要論者で、現在のアメリカを良しとしている。一方、総理は社会保障に興味を示さず、財務省に医療費全体を『丸投げ』していると、強く批判しています。
それから15年を経て、今は更に健康保険・医療・社会保障は厳しい状況に晒されていると感じます。
安倍首相は小泉首相と同様又はそれ以上に社会保障に興味がない・・・。

厚生行政をしっかりと監視していくためにも、こうした書物がもっともっと広く多くの人に読まれることが大切だと感じます。