『赤瓦の家 朝鮮から来た従軍慰安婦』
川田文子著 筑摩書房『赤瓦の家 朝鮮から来た従軍慰安婦』を読みました。
1987年初版の本で、川田さんが元従軍慰安婦だったポンギさんを10年にもわたって取材し、描かれた本です。
極貧の中に暮らしていたポンギさんは「仕事せんで金が儲かるところがある」との言葉に心動かされ、日本に連れてこられました。
「バナナの木の下で口を開けて寝ていたら、バナナが落ちて口に入る」とも。
日本軍の慰安婦集めは「被服蔽で徐行を募集している」「従軍看護師の手伝い」「軍隊の洗濯や炊事」との口実で、詐術の限りを尽くして行われました。
破壊と殺戮が組織的に繰り返される侵略戦争下の兵士たちは、心身ともに荒み切って、歪んだ性欲が中国女性への強姦や輪姦となって現れ、軍隊では女性を犯すことが勇猛な行為であるかのようにみられる気風さえあったそうです。
そういう状況の中で、「慰安所」の設置が求められていたのです。
慰安婦として求められたのは、性病のない健康的な娘たち。
しかも日本の女性たちを軍隊の慰み者として駆り出すことはできず、植民地である朝鮮の女性たちが目をつけられたのでした。
沖縄・渡嘉敷島に配属されたポンギさんは間もなく沖縄戦に巻き込まれました。
渡嘉敷島にも米軍の容赦のない攻撃が仕掛けられ、村民も兵士も何人も亡くなり、そこで同じように命を落とした慰安婦女性もいました。
終戦と同時に収容所に入れられましたが、そこを出た後は日本人として権利を保障されることもなく、騙して連れてこられたのに朝鮮に帰る術はなく・・・。
ポンギさんはあちこちを転々としながらわずかなお金で性を売り、辛うじて生を繋いできました。
年をとって働くことができなくなり、特別な措置で生活保護が受けられるようになるまで、その生活が続きました。
従軍慰安婦の問題は、歴史修正主義者の方々の中で「なかった」とか「でっち上げ」のように語られています。
でもそうではなく、事実としてあったというだけでなく、女性たちの性・人生・人格そのものを愚弄したのです。
騙して連れてきた人々に対し日本は何の保障も償いもしていないということがよくわかります。
騙して連れてきたのに、帰すための努力も、日本で暮らしていくための支援も何もしていないのです。
とてもショックでした。
こういう事実を私たちはちゃんと知らなくてはいけないと思います。
事実を知って、事実と向き合い、同じ過ちを繰り返さないために私たちは何をするべきか、ちゃんと語り合っていける社会でありたいものだと思います。