『鴨居に朝を刻む』

2024年11月26日

数日前の話になってしまいましたが、23日(土)は私がハマりにハマっているくるみざわしんさんの舞台『鴨居に朝を刻む』を観てきました。
戦中30代で長野県河野村の村長になり、満州に開拓民を送り出し、敗戦とともに開拓民の方々が集団死をしたことを知り自死をしたという、くるみざわさんのおじいさんを描いた作品です。
おじいさんの人生がどんなふうに描かれているのかと、とても楽しみにしていた作品でもあります。

おじいさんがまだ村議だったころ、できれば田舎を離れて東京に出たいと夢を見ていた頃。
村長になり、お国のため天皇陛下のために頑張りたいと血気にはやっていたころ。
満蒙開拓に村民を送り出すかどうかを悩み、送り出す決意をしたころ。
戦争が終わっても開拓民が戻らず、どうしているかと胸を痛めていた時に開拓民の集団死を知り、自身も死を選んで鴨居に向かう朝。
30代から亡くなるまでのおじいさんの人生が、4つの場面に分けて描かれていました。

18歳から亡くなるまで、毎日つけられていたおじいさんの日記。
最後のページは破られていましたが、そこに記されていたのは「家と田畑は開拓民に開放してやってほしい」というような言葉でした。
私はこの言葉を知った時からずっと、違和感を拭うことができませんでした。
家と田畑を開放してしまったら、残された家族は一体どうやって生きて行けば良いとおじいさんは思っていたのか・・・。

でも、舞台を観てよくわかりました。
おじいさんは開拓民がみんなで集団死をして家族みんなで死んでしまったのだから、自分も家族みんなで死ななくてはいけないと考えていたのだと。
でもおばあさんに話した時に「バカ」と一蹴されて、妻や子どもたちを巻き込んで死ぬことは断念して、自分一人での死を選んだのだと。
そうして当時8歳だった息子さんは無事に生き延びてくるみざわしんさんが生まれ、そのおかげで今私はくるみざわさんの数々の作品と出会い、深い感動をいただいているのだと。
「バカ」と言ってくれたおばあさんに感動です。

田舎のくらしは秘密にしたいプライベートまで含めて全てを村中の人が知っていて、若いころのおじいさんは息苦しさを感じていました。
その感覚が私が子どもの頃に感じていた息苦しさと全く同じで、それこそが私が高校を卒業すると同時に名古屋に出て、その後東京に出てきた感覚(今は埼玉に住んでいますが)と全く同じでそんなことも含めて、とても面白い舞台でした。

今回は「試演」とのこと。
「本演」をとっても楽しみにしています