入院できただけ幸せかも
朝、母が入所している施設から電話をいただきました。
職員さんが起こしに行ったら意識がなく、よだれを垂らしてぐったりしていて血圧も測れない状態、救急車を呼びますとのこと。
今、この医療ひっ迫の状況の中で、早々簡単には搬送先は見つからないだろうと思いましたが、意外にもすんなりと受け入れていただくことができ、搬送されました。
これは本当にラッキーなことで、感謝しなくてはいけないことだと思っています。
私もすぐに車で病院に向かったのですが、途中で救急車の同乗してくださった施設の看護師さんから「命が危ない状態です」と電話が入ったり、搬送先の看護師さんからも「あとどれくらいで着きますか?」と電話がきたりして、本当に危険が差し迫っていると感じさせられました。
病院の救急処置室に着くと間もなく、母は造影剤を使ってお腹のCTを撮るためにストレッチャーに乗せられて出てきたのですが、顔が真っ白で、顎を動かして努力様の呼吸をしていて、一見してかなり深刻な状態でした。
お医者さんの説明ではおむつの中に大量の血液交じりの排便があったということで、診断は「下部消化管出血によるショック状態」。輸血で改善するかもしれないけれど、血圧も脈拍も低下しているし、出血は止まっているけれど意識が戻らないし、かなり厳しいとのこと。
昨日までの施設とのやり取りでこういう状況はかなり想定で来ていたので、特段驚くことはありませんでしたが、気持ちが昂るというか、緊張します。
入院することになりましたが、お医者さんからコロナ禍で面会ができないこと、母に会えるのは今が最後かもしれないと言われました。
病棟に上がるエレベーターの中だけ、ほんの数秒だけ母のそばにいることが許されました。
「手を握ってあげてください」と言われて、握った母の手は真っ白でとても冷たかったです・・・。
そのあと、入院に必要な荷物を持って行った時は看護師さんが玄関まで下りてきてくださって、荷物を手渡ししただけでした。
どんな状態なのかもわからず、とても不安な夜を過ごしています。
それにしても、「コロナ禍」とはよく言ったものだなぁと思います。
もしどこの病院でも断られていたら、母はそのまま施設で命を落とすしかなかったと思うので、受け入れてもらえただけ幸せだなぁと思います。
だけど実際には受け入れてもらえず、亡くなっていく命もたくさんあるのだと思います。
コロナでなければ、面会に来た家族に見守られながら最期を迎えることができるはずです。
だけどコロナ禍では家族は面会すらもできないし、本人にとっても家族にとっても切ない最期を迎えるしかありません。
きっとその現場で働いている医療従事者のみなさんも、不甲斐ない気持ちでいっぱいなんだろうなぁと思います。
私が子どものころ過ごした町は段戸山という山の麓で、山以外には何もないようなところでした。
父は山の中で仕事をしていて母もそれを手伝っていたので、小学校に上がるころまで、私は毎日母と一緒に父の山小屋に歩いて通いました。多分片道5キロくらいはあったんじゃないかなぁ。
それも山道だったので、子どもの足にはとても辛いものがありました。
父と母が仕事をしている間、私は山小屋の隣を流れている川でイモリを捕まえて遊んだり、自生しているアケビを取って食べたりした記憶があります。
それから春になるとワラビやゼンマイ、フキを摘んだり、秋になると食卓に必ず上るのは父が山で掘ってきた山芋でした。
自然しかないような、自然の中で本当にのびのびと遊んだ子ども時代。
毎日母と歩いた山道が急に鮮やかに脳裏によみがえり、母が好きだと言った野花や景色を思い出しました。
この後、どうなるかは誰にもわからないけど。