八重に咲くドクダミ
今年も我が家の庭に、八重に咲くドクダミが咲きました。
名前に似合わず、まっ白でとってもかわいい花です。
この珍しいドクダミは私の尊敬する先輩であり、前任者の高野昇さんから頂いたものです。
8年前に市議選に初めて出馬して当選し、発行するニュースを「つわぶき便り」と決めたときに、高野さんがご自宅のつわぶきを我が家の庭に株分けしてくださいました。
その時に一緒に植えてくださったのが、この八重に咲くドクダミでした。
「うちのドクダミは八重に咲くんだ」「すごく珍しいんだ」とニコニコと笑いながら話してくださった高野さんの顔を、未だに忘れることができません。
翌年の3月にはあっけなく亡くなってしまったので、高野さんとのお付き合いは選挙戦からわずか1年程度の短い期間でした。それでも私は高野さんの存在に大いに支えながら、議員としての生活のスタートを切りました。
初当選の時からずっと、8年以上にわたって毎週金曜日にコモディ・イイダ前や吉川駅前など計4カ所で定時定点の宣伝活動をしています。
これも高野さんから勧められて始めたもので、最初の1年間はいつも高野さんが一緒に行動してくださいました。
私の演説の前に高野さんがほんの短いスピーチをするのですが、話の内容と言い話し方と言い、高野さんは本当に演説が上手な方でした。
そして、高野さんに依存しきって過ごした1年間でした。
私は今でも、ひょろっとして髪の短い初老の男性を見ると「あ!高野さんだ」と思ってしまいます。
そしてすぐに、もう亡くなって○○年経ったのだということに気付き、淋しくなります。そんなことを未だに繰り返しています。
実は議員になるずいぶん前、私の上の子が小学生、下の子はまだほんの幼児だったころ、私はスキーが上手になりたくて「赤旗スキー祭」に毎年参加していました。
高野さんも毎年この祭典に参加されていて、実は高野さんとの出会いはこの祭典でした。
スキーの実力もほとんど同じだったので毎年同じクラスで一緒に滑りました。
当時高野さんも私も三郷市民でした。
吉川市に引っ越してきて間もなく市議選があり、そのとき高野さんが初当選をしました。
スキーで一緒だった人が同じように吉川市に引っ越しをしてきていて市議会議員になられたという事実に、不思議な縁を感じていました。
その12年後に今度は私が立候補することになり、高野さんに支えられることになり、またまた不思議な縁を感じたものでした。
亡くなられて何年経っても、私は高野さんのことは忘れません。
忘れないことこそが何よりの供養だと思っています。