定年退職、お疲れさまでした(⋈◍>◡<◍)。✧♡
今朝、高校時代のクラスメートのグループLINEにこんなトークがアップされていました。
「今日、定年退職の方は今日が最終日。お疲れさまでした」💖
トークを見て、今日で定年退職を迎える同級生がたくさんいることに改めて気が付きました。
高校を卒業してから、早〇〇年。
LINEのグループ名が「3年E組」と、当時のクラスの名前だというところにみんながあの3年間を大切に思う気持ちが表れているようで、とても気に入っています。
私たちのクラスは3年間ほぼ入れ替わりがなかったので、仲間意識が強かったというか、そんな感じです。
今日で退職の人もいれば、誕生日などにもう退職して再任用に切り替わっている人。
定年の無い自営業の人もいるし、定年がもっと先という人もいるようでした。
そして、今日定年を迎えたからと言って明日からの生活が何か特別に変わるわけでもなく、今日と同じように明日も仕事に出かけて忙しく働く・・・。
だけど、一つの節目になったことは間違いのない今日という日。
少し前に定年退職を迎えた同級生は、「変わったことと言えば、タイムカードに雇員と書かれるようになったこと」だとアップしていました。
もしかしたら給料も下がったり、身分も管理職からパートに切り替わったりするのかな。
今思えば、とても楽しかった高校時代の3年間。
私はド田舎の高校生でオシャレも知らず、遊ぶことも知りませんでした。
覚えていることと言えば、山道坂道すごい道を「あんなところから自転車で通った女子は一人もいない」と担任に言われながら、自転車で通い続けたこと。
その自転車通学は波乱に満ちていて、秋~冬にかけては満点の星空を眺めながらの帰り道だったこと。
夏は時々、道路沿いの清流に着の身着のまま飛び込むような、びっくりするような女子高生だったこと。
マラソン大会が近づく季節になると、その道を走って通ったこと。
ひたすら読書に明け暮れた3年間だったこと。
日記と詩と短歌と物語を書くことにハマり続けた3年間だったこと。
そういう3年間が結局は自分自身のその後の人生に大きな影響を与え、やっぱりやっぱり読むことと書くこととが大好きで、多少の無理も面白く感じながら過ごしてきたなぁと思います。
看護学校に進学したことは、自分でも入学の翌日に「失敗‼」と気付いたほどの大間違いでした。
化学も生物学も物理学も全然好きではない、文系の私が受験科目が国語と英語と数学だったというだけで入学してしまい、入学後すぐにスタートした解剖学・生理学・薬理学・生物学や物理学などには全く興味も持てず、場違いを自覚するばかりの3年間でした。
それでも卒業を目前にせめて国家試験くらいは合格したいと思い、別の人生を生きるとしても看護の資格を生かそうという程度の、軽い気持ちでの就職。
そこで精神科病棟に配属され、虜になり、結局は看護師として生きてきた人生だったこと。
もしもう一度人生があるならば、次はもっと上手に生きられるかも💦
だけど残念なことに「もう一度」というのは恐らくありません。
私は「定年退職」の無い生活を今は送っています。
「お疲れ様」と言うのも、今はまだ早いと思います。
看護師として、さらに母親として主婦として生きてきたからこそ目に見えること・疑問に思うこと、こうあるべきだと思うことを発信し続けられる市議会議員になりたいと今は思います。
還暦を過ぎても働き続ける意義を自分の中に見出しながら、できる限り「良い仕事」ができるように頑張ることができたら、きっと幸せだと感じます。
これからも、がんばりたいと思います。