日本人「慰安婦」問題と、今日の性暴力~三芳九条の会学習会
もう1週間も前の話になってしまいましたが、「三芳九条の会 戦争を考える学習会」に参加させていただきました。講師は日本共産党の元参議院議員、吉川春子さん。テーマは「日本人『慰安婦』問題と、今日の性暴力」でした。
戦争ではまず女性が犠牲になる。性暴力が武器として使われる。その最たるものが「慰安婦」であり、女性が性奴隷として使われる。
アウシュビッツでも、勤労成績の良い囚人にご褒美として女性があてがわれていた!!
そして多くの日本人は「慰安婦」と言えば「朝鮮人」というイメージを抱いているけれど、実は「慰安婦」にされた女性で最も多かったのは日本人だった!!
それは1993年の河野談話の中でも、「なお、戦地に移送された慰安婦の出身地については、日本人を別とすれば朝鮮人が大きな比重を占めていた」と語られていて、日本人慰安婦が最も多かったことを政府が証言している。
しかしその日本人慰安婦だった方々は日本政府の謝罪・補償の対象から除外されている。
城田すず子さんが「慰安婦」であったことを名乗り出たこと、1985年に「噫(あゝ)従軍慰安婦の碑」が千葉県館山市に建立されたことは朝日新聞の天声人語にも紹介されたのに、反応はなかった。日本社会は冷たかった。
吉川さんはビルマ従軍の日本人「慰安婦」の名簿を入手し、2016年~18年に調査を行った。
ビルマだけでも10数か所、100人以上の日本女性が送られていたのではないかと思われる。
南支派遣軍が慰安所を開設するので「醜業を目的とする婦女400人を送ってほしい」と、現地派遣軍の参謀と陸軍省徴募課長が内務省警保局を訪問。
警保局長は日本から現地に向かわせる400名の婦女、大阪100名・京都50名・兵庫100名・山口50名を割り当て、担当者・抱主を選定し、女性を集めさせた。集められた婦女は台湾の高尾までは抱主の費用で陰に連行し、高尾から先は御用船で現地に向かわせた。
国民にこんな事実を知らせるわけにはいかないので、国民の目に触れないようにと。
ビルマでは敵の攻撃が迫り、1945年4月25日に3つの慰安施設を閉鎖。翌日、15名の慰安婦がジャングルの逃避行に出発。途中のシッタン河を船で渡り、ジャングルでゾウの群れに遭遇し、死者と負傷者を出し、日本の敗戦を知らずに歩き続けた。
「慰安婦」舞台隊長のI氏以下32名中、生存者は22名、生存率は68.7%。生還した元兵士たちは仕事に復帰し、大学に再入学し、その後も戦友と何十年も旧交を温め、潤沢な年金を受けている。
同じく戦禍をくぐり、ジャングルを逃げた女性たちには1円の年金も支払われていない。
厳しい、世間をしのぶ生活だったと思われる。吉川さんたちが調査しても、容易に訪ね当てることはできなかった。ビルマに従軍した事実さえ、親族にも明かさず、戦後を過ごした。
なぜ軍人と「慰安婦」女性との間にこのような開き、差別があるのか?これこそが日本人「慰安婦」の問題点であり、私たちが突き止めなければならない課題。
そして日本は凝りもせず、敗戦後わずか3日という日に進駐軍のための慰安施設「RAA]も設置を閣議決定。
進駐軍が来たら婦女子は暴行される、4千万の大和なでしこの純潔を守るためにはぜひ必要だと。戦火で家を焼かれ、肉親を失った女性たちを集め、将兵慰安の実務に就かせる。
守るべき女性と、差し出すべき女性とを分断。
そして今も。
沖縄で昨年12月24日に起きた少女暴行事件を政府は握り潰し、半年経って今年6月に公表。岸田首相は4月に行われた日米首脳会議で、抗議すらしなかった。そしてこの間、新たな米兵の性暴力が3件発生している。
日本人「慰安婦」の問題は過去の問題ではない。現在に繋がる大問題。
今も身体を売る女性はいる。
日本は売春は禁じているが、買春は禁じていない。売春は本人が自分の意志で、好きでやっているとの声がある。
まあ「自分の身体を売って、何が悪い」という声もある。
カナダやノルウェーなどが買春を禁止している一方、アメリカなどでは合法化されている。
買春を禁じ、女性の経済的自立を図ること。それがとても大切。
そんなお話でした。
胸に深く沁みて、涙が出ます。
そういう社会を、私も目指していきたいと強く思います。