精神科病院協会会長の発言に啞然(@ ̄□ ̄@;)!!
少し前にも書きましたが、看護学校を卒業して最初に働いたのは名古屋城の隣にある総合病院の精神科病棟でした。同期5人が一緒に配属され、若くて熱意のある二人の医師ととっても優しい先輩方に囲まれて、とても楽しく過ごした日々でした。
精神科の病院というと病院の入り口や病棟の入り口に鍵をかけて、患者さんを閉じ込めるような医療をしている病院が多いのですが、その病院では鍵をかけない治療を実践していました。そして鍵で患者さんを管理しないことに誇りを持っていました。
同期5人でもよく学習会をしたし、病棟でも医師を交えてみんなでよく勉強し、語り合いながら医療を展開していたと今でも思っています。
鍵をかけていないので、中には黙って出ていってしまう患者さんもいらっしゃいました。
忘れられないのは前頭側頭型認知症の患者さんです。生まれ故郷の地名を挙げて「ちょっと○○まで行ってくる」とおっしゃるのです。「ここはどこか、わかりますか?」と聞くと「決まっているでしょう。名古屋の病院じゃないですか」と言いながら、実際には新幹線で行くような遠い地の○○はすぐそこだと思い込んでいました。
社会人ほやほやの私には宥めることも分かってもらうこともなかなか難しく、悩む日々が続きました。
他のことに手を取られているうちに、気が付くとその方が外に出ていってしまったことも何度かあり、そのたびに白衣姿で名古屋城の周りを探し回ったものでした。
少し話がそれますが、長男が3歳の時に浦和から三郷に引っ越してきました。
引っ越した翌朝、長男は「○○君ちに遊びに行ってくる」と言い出して、びっくりしたことがありました。長男も三郷に引っ越してきたことはわかっていたのですが、それまで住んでいた浦和までの距離感がわからなかったのでしょう。そのときその前頭側頭型認知症の方をしみじみと思い出し、その方が体験していたことを初めて深く理解できた気がしました。
その方は他に神経難病も患っていて、次第にしゃべること・歩くこと・排泄すること・食べること・身支度を整えることなどの一つ一つができなくなっていきました。スタッフみんながその方をとても大切に思っていて、一生懸命ケアしたことは今でも大切な思い出です。
その方がある日喋れないながらも「この頃横着な人間になってしまった」とおっしゃったことがありました。
喋れない、表現できない認知症の方の心の内を初めて明かしていただいたような気持ちになり、みんなでしみじみとしたものでした。
こういう言葉を聞かせていただいたことは、私にとって一つの財産になったと思っています。
精神科病棟の入院患者さんは若い、統合失調症を発症したばかりの方がたくさんいらっしゃいました。中には心の持って行き場がなくなって、突然椅子を振り上げて窓ガラスを割ってしまうようなこともありましたが、それはそれぞれの方が病気と向き合う中で起きていたことで、そういう時の患者さんはみんなとても苦しそうでした。
やたらと女性にちょっかいを出す若い男性は、チャラチャラした人なのかと思ったら実は一緒に死んでくれる誰かを探してて、そこまで追い詰められていたということもありました。
自死された患者さんのことは、今でも忘れることができません。
患者さんの年齢層が若く、私たちも若かったので患者さんもスタッフもみんな仲が良かったように思います。
患者さんと話をする中で、私の方が癒された場面も何度もありました。
退院した患者さんが深夜、眠れないと言って電話してくれることもよくありました。病気の苦しみを家族や周りに理解してもらえないとの悩みもよくお聞きしました。
相手の気持ちがわかること、「受容」すること、「共感」することが自分にとっても相手にとっても力になると感じながら過ごした日々でした。
今よりも精神疾患や障害に対して偏見もまだまだ強い時代で、治療法も今とは全然違ったし、入院が当たり前だった時代でもありました。今の考え方からすると思慮不足だったり、良かれと思ってしていたことが実は人権侵害だったと思うこともありますが、その時代なりに一生懸命真面目に考えて仕事をしていたと思います。
一度、患者さんをベッドに拘束したことがあることもはっきりとした記憶です。
アルコール依存症で、離脱症状がとてもひどく、本当に危険だったので拘束することになりました。シーツでガッツリと拘束したのですが、それは決して「慣れ」が生じるようなものではなく、正直「怖い」と感じたことをはっきりと覚えています。
そんな風に精神科病棟で仕事をした私には、「唖然とした」以外の言葉が見つけられません。
7月5日、東京新聞の日本精神科病院協会会長山崎学氏へのインタビュー記事。
そもそもインタビューに対する答え方がとても乱暴で、とても社会性のある大人の話し方とは思えません。
長期入院の患者さんを「幸せ」だと思う感覚も驚きです。
日本の精神科病床が世界の精神科病床の37%をも占めているという異常な現実がわからないのでしょうか。
日本の精神科医療は入院中心、隔離中心で行われていて、精神科病院での身体拘束は世界的に見ても異常に多い現状。杏林大学がアメリカ・オーストラリア・ニュージーランドと一緒に実施した研究調査によると、日本の身体拘束はアメリカの266倍、オーストラリアの599倍、ニュージーランドの2000倍という状況です。
イタリアでは1970年代から徐々に精神科病床をなくす努力を続け、今では病床を全廃、精神障害者が地域で暮らすことを支えるサポート体制をしっかりとつくり上げています。
もちろん、こんな現状があるのは精神科病院協会長だけの責任ではありません。
精神障害者を病院に閉じ込め、社会から隔離しておけば良いというような医療を厚労省の責任で改めるべきだと思います。
でも会長なら、改革への責任の一端を担うくらいの気持ちが当然あるべきではないかと思います。