長男クンのお誕生日
今日は長男クンのお誕生日です。
先日もこの夏、咳に苦しんでいることを書きましたが、長男クンを出産した年の夏も私は咳に苦しんでいました。
元々骨盤が狭いので長男クンの頭の大きさの方が私の骨盤よりも大きく、出産がある程度大変なことはわかっていました。
因みに、最近ではちょっとでもリスクのある人は帝王切開で産ませる病院・産婦人科医が多いようですが、長男クンを出産したころはまだまだ自然分娩をさせる病院が多かったと思います。
特に私が出産した病院は、自然分娩に拘る病院だったと思います。
それでなくても大変なお産だったのに、陣痛が来た時も私はひどい咳をしていて、お腹の中の長男クンが誕生の準備に向けて私の骨盤に合わせて頭を改選させる前に、咳の勢いで産道に降りてきてしまいました。
頭が生まれるための廻旋もしていないのに産道に降りてしまって、出産できるほど強い陣痛もまだ来ていなくて💦
とっても大変な出産となってしまいました。
陣痛室で一昼夜を過ごし、私よりも後で陣痛室に入室したにもかかわらず、私よりも先に分娩室に行き出産するお母さんたちを何人も見送り😅
あまりのストレスに吐血までして、ようやく分娩室にこぎつけたあの日。
恐らく出産経験を持つほとんどの女性が同じだと思いますが、あの夏のことは生涯忘れることはできません。
陣痛促進剤の点滴と産道を拡げるためのラミナリア、そして吸引。
長い長い時間をかけて、ようやく生まれた長男クンでした。
私はあの時あまりにも疲れ果てていて、大変な状況の中で生まれてきた長男クンもまた疲れ果てていたのだという事実には全く気が付きませんでした💦
退院を翌日に控えた生後4日目。
朝から全くおっぱいを飲まなくなってしまい、いくら飲ませようとしても全く反応しなかった長男クン。
朝から「おかしい」と訴え続け、ようやくスタッフのみなさんも「これは大変だ!」と気付いてくださったのは、もう夕方になってからでした。
保育器に入れられ、様々な検査が行われ、翌日には救急車で小児医療センターへと搬送されていきました。
小児医療センターでは、もしかしたら人工肛門造設の手術をすることになるかもしれないと説明され、一体これからどうなるのか、この子はどういう人生を送ることになるのかと不安で不安でたまらない日々を過ごしました。
結局は無菌性髄膜炎だったことがわかり、お産がとても大変だったので長男クンも疲れ果てて生まれてきたのだということが分かりました。
産まれて1カ月弱で、ようやく我が家に帰ることができた長男クンでした。

あのとんでもなく不安な日々の中で、私は一体どんなお母さんになるのだろう、もしかしたら不安に耐え切れず、とんでもなく子どもを甘やかせてしまうお母さんになってしまうかもしれないとか、いろんな不安を抱きました。
でも私はそこまで子どもに入れ込む性格ではなく、長男クンはとってもとっても可愛かったけれど、決して甘やかせすぎる母にはなりませんでした。
あれから○○年の歳月が過ぎ、長男クンは今でも私の大好きな人ではありますが、「いいオッサン」になりました。
「いいオッサン」になるというのもとても大切なことで。
私はとても幸せだと、改めて思う今日。