3月10日は東京大空襲の日

2024年03月11日

昨日は東京大空襲から79年という日でした。
79年前のこの日の未明、東京下町に落とされた焼夷弾は38万発、約1,700トンだったそうです。

東京大空襲と聞いて忘れられないのは、一昨年に亡くなったパートナーの叔母の話です。
パートナーのお父さん、私にとっては義父の一番下の妹です。

都内でひとり暮らしをしていた叔母の様子がおかしくなり、ご近所の方から連絡をいただいて様子を見に行ったパートナーは、その叔母を一人で置いておくことはできないと判断し、我が家に連れてきました。
もう10年くらい前のことです。
認知症によるものだったと思いますが被害妄想がとても強く、そのために警戒心もめちゃくちゃ強くなっていて、気の休まるときが一時もないような状態でした。
私は何か少しでも叔母の気持ちを転換できないかなぁと考えていて、ちょうどその頃公開されて「観たい」と思っていた『少年H』という映画に連れて行くことにしました。
妹尾河童の自伝的小説を映画化したもので、戦時中の神戸が舞台です。

映画の中には神戸の空襲が描かれていて、焼け落ちていく神戸の街並みの中で少年Hはお父さんのミシンを守るために、必死で火を消そうとする場面が出てきます。
その映画を観終わった時の叔母の反応に、私はびっくりしてしまいました。

映画が終わって、エンディングロールも終わって、ライトが点いても、叔母は立ち上がろうとしませんでした。
そして東京大空襲の思い出を、次から次へとリアルに語り出したのです。

当時叔母は小学校一年生。
叔母にとっては長兄にあたる私たちの義父は、当時徴兵で中国に行っていました。
留守宅を守っていたのは両親と叔母、それからその叔母のすぐ上の次兄の4人でした。
空襲が落とされ、映画と全く同様に次兄は一人家に残り、必死で火を消そうとしていました。
叔母は母親と一緒に火の中を逃げ回りました。
そしてたくさんの人が死んでいく姿を目の当たりにしました。
翌朝には道路の両側に死体が溢れ、どの死体も真っ黒で、まるで炭のように焼け焦げていたそうです。
そして独特の臭いが町中に充満していました。

叔母の母(私にとってはパートナーの祖母)はその光景を幼い娘に見せたくないと思ったらしく、叔母には目隠しをして、当時住んでいた北区から実家のある千葉県の茂原まで、叔母を一度も下に下ろすことなく歩き続けたそうです。
何時間も歩き続けて実家にたどり着いたときには、おばあちゃんの脚はまるでゾウ🐘脚のように浮腫んで太くなってしまっていたそうです。

その話を聞いたとき、私は初めて、それまで漠然としか知らなかった「東京大空襲」が一つのリアルな光景になりました。
高齢になって、人生の中での大切なイベントでさえも忘れてしまったことも多く、おまけに体調を崩して気持ちが落ち着かない中で、それでも東京大空襲の記憶は鮮烈で、ある意味「特別」なんだなぁと思いました。
もっと早くに聞いておけば、もっとたくさんのリアルな話が聞けたのだろうと、それまで聞かなかったことを悔やみました。
戦争のことを語ることができる人がどんどん減っていく中で、私にとっても貴重な体験でした。