『車いすに乗った人工呼吸器のセラピスト』

2024年03月30日

『車いすに乗った人工呼吸器のセラピスト 押富俊惠の5177日』(安藤明夫著 中日新聞社)を読みました。

25歳で重症筋無力症と診断され、人工呼吸器の装着を余儀なくされた作業療法士の押富俊惠さん。
障害者とセラピスト、両方の視点を持つからこそのまちづくりや講演活動に尽力しました。

押富さんの精力的な活動に市の職員も突き動かされました。
それまで健常者には何気なく見えていた道路が、実は斜めになっていて車椅子では移動しにくく、どういう道路にしたら良いのかと考えはじめたり。
確かに道路は一般的に側溝に向かって水が流れるように、道路の真ん中に水が溜まらないように、微妙な傾斜がついています。
私たちは普段全く気付かずに生活しています。
しかし車いす生活になったり、筋力が低下して歩行が大変になってくるとその傾斜がいかに障害者にやさしくないかを思い知らされます。
押富さんの発信に動いた市の職員さんたちの、障害者の言葉に真摯に向き合う姿勢がとても良いと思いました。

短い人生を精力的に生きた押富さんは、私も良く知る愛知県尾張旭市に住まわれていた方で、2022年に押富さんが亡くなった後も尾張旭市では活発にインクルーシブ社会を目指す活動が行われているようです。

ハッとしたのは、押富さんが「私にできることがあったら、何でも言ってください」と担当作業療法士に声をかけられたとのエピソード。
「何ができるのか教えてよ」って。

確かに、こういうやり取りって普通でも良くあるような気がします。
「私にできることがあったら言ってください」。
一見優しそうで、実は無責任な言葉だと思い知らされました。

もう一つ。私たち医療従事者は「障害の受容」という言葉をよく使います。
リハビリテーション医の権威、上田敏氏は
「障害の受容とは諦めでもなく、居直りでもなく、障害に対する価値観の転換であり、障害をもつことが自己の全体としての人間的価値を低下させるものではないことの認識と体得を通じて、恥の意識や劣等感を克服し、積極的な生活態度に転ずることである」と定義しました。

しかしこの概念は押富さんにとっては違和感だらけでした。
「諦めではなく」と言われても、自分は口から食べることをあきらめて経管栄養や中心静脈栄養にした。
口頭分離手術(誤嚥による肺炎を防止するための手術)で声を失う選択をした。
「諦め」の連続の日々だった。
障害は自分にとってはやっぱり「害」であって、個性とは別のもの。
価値の転換もできませんでした。
だから漢字表記も「障がい」や「障碍」ではなく「障害」を使ってきた。

患者の心理が変化していくという段階論にも納得できなかった。
当初の「ショック期」から現実から目を背ける「否認期」、怒り・悲しみ・抑うつの「混乱期」、病気や障害に負けずに生きようとする「解決への努力期」、障害を前向きにポジティブにとらえる「受容期」に至るとされているが、「受容の過程」を型にはめる必要があるのかと疑問を感じた。
障害の感じ方、受け止め方は人ぞれぞれ。常に揺れ動いていて、ポジティブになったりネガティブになったりと忙しい。
健常者がどれだけ議論したって、そんな繊細な気持ちの揺れ動きなんてわかるはずがない。
だから「障害受容論」って机上の空論じゃないの?
そして障害者自身が「障害受容」という言葉を使う機会はなく、支援者がリハビリなどの支援をうまくできないときに、「あの人は障害の受容ができていないから」と言い訳に使っている場面がほとんどだ。

・・・との押富さんの言葉。作業療法士の視点を持っているからこその発言で、とても重たく胸に迫る一言一言でした。