もしも今、ドイツがハーケンクロイツを国旗にしていたら?
今日の吉川市議会、議場の国旗と市旗の掲揚を求める請願に対する私の反対討論を掲載します。
実はこの反対討論を書くにあたって、ひとりの方が「もしも今、ドイツがハーケンクロイツを国旗にしていたら、みんなどんな気持ちになるのか。それを想像すればいいんだ」と言ってくれた方がいました。
「なるほど!」と思い、その言葉を中心に討論を組み立ててみました。
今、NHKの朝の連続テレビ小説では、やなせたかしさんとその妻、暢さんをモデルにした『あんぱん』が放映されています。
5月後半からの『あんぱん』は大切な人が招集され、戦死し、それでも「お国のために尽くした」「立派だった」「本望だろう」などと言わなければならなかった戦時中の社会が鋭く描かれています。大切な息子に「生きて帰ってきて」と言えない社会、軍の命令に逆らえない社会、隣近所で監視する社会、言葉と態度で威圧し、暴力で押さえつける社会。
戦後に生まれた私たちには想像しえない、自由のない息苦しい社会だったと思います。そしてその社会の象徴として日の丸、日章旗が存在していました。その旗の下で多くの命が失われ、傷つき、戦後80年経った今でもまだ苦しんでいる人が、日本人だけでなくアジア諸国も含め、国の内外にたくさんいらっしゃいます。
日章旗を見て良い思いを抱かない人も国の内外にたくさんいらっしゃると思います。
その思いを「特定の政治的立場」という言葉で片付けて良いとは思いません。
もし今もドイツがナチスドイツ当時の国旗、ハーケンクロイツを国旗として掲げていたら、私たちはドイツに対しどのような感情を抱くでしょう。それを想像すれば、日章旗に対し様々な思いを抱く人がいるということも容易に想像できるのではないでしょうか。
国旗を国家の象徴と捉えるのであれば、だからこそ、本来ならドイツやイタリアと同じように、敗戦後国旗を変えるべきだったと思いますし、少なくとも国民的な議論を行うべきだったと思います。それを避けてきたからこそ、今なおこうした問題が解決しないのだと考えます。
「議場に国旗掲揚しないことを求める要望書」が6月9日の常任委員会を前に、2名の市民の方から381名の署名を添えて提出されました。今議会にこの請願が提出されたことを知った市民のみなさんが、土日たった二日間でこれだけの署名を集められたとのことです。その意味は非常に重いものだと受け止めています。
1999年に国旗国歌法が公布されました。
その背景には1996年頃から公立学校の教育現場において、当時の文部省の指導で日章旗
の掲揚と同時に君が代の斉唱が事実上義務づけられるようになったことが挙げられます。日教組などの教職員を中心に、こうした義務付けが日本国憲法第19条に定める思想・良心の自由に反すると主張して社会問題となりました。
埼玉県立所沢高等学校では卒業生が卒業式をボイコットして新聞やテレビで大きく報道され、広島県立世羅高校では君が代斉唱や日章旗掲揚に反対する教職員と文部省の通達との板挟みになっていた校長が自殺しました。
こうした問題を背景として、日章旗と君が代を国民の間に定着させるために国旗国歌法をつくらざるを得なかったし、また同時に当時の小渕首相は「今回の法制化は、国旗と国歌に関し国民の皆様方に新たに義務を課すものではありません」との談話を発表せざるを得なかったのだと思います。
国旗国歌法が成立後、文科省は「学校における国旗・国歌の指導は,児童生徒に我が国の国旗・国歌の意義を理解させ,これを尊重する態度を育てるとともに,諸外国の国旗・国歌も同様に尊重する態度を育てるために,学習指導要領に基づいて行っている」としています。国旗・国歌を定着させるため、教育現場では何が行われているでしょう。
高等学校学習指導要領に「入学式や卒業式などにおいてはその意義を踏まえ、国旗を掲揚するとともに、国歌を斉唱するよう指導するものとする」と定められており、東京都教育委員会の教育長は都立学校の各校長宛てに入学式・卒業式等における国旗掲揚及び国歌斉唱の実施についての通達を行いました。
それを受けて各学校長は卒業式や入学式等の式典に際し、その都度、多数の教職員に対し、国歌斉唱の際に国旗に向かって起立して斉唱することを命ずる旨の職務命令を発し、音楽科担当の教職員に対しては、国歌斉唱の際にピアノ伴奏をすることを命ずる旨の職務命令を発しました。
この職務命令書は、何時何分に・どこで・誰に手渡したかを記録しなくてはならず、今もこうしたことが行われているそうです。
都教委は都立学校の卒業式において各所属校の校長の職務命令に従わず、国歌斉唱の際に起立しなかった教職員及びピアノ伴奏をしなかった教職らに戒告処分等の懲戒処分を実施しました。
こうして職務命令と処分とを通じて、教育現場への定着が進められています。
国際労働機関(ILO)と国連教育科学文化機関(UNESCО)の合同専門家委員会(CEART)は、日本政府に「国旗掲揚国歌斉唱への参加を望まない教師を受容するような規則について教員組織との対話の機会を設けること」どの勧告を2019年に出しています。国連自由権規約委員会も「思想及び良心の自由の効果的な行使を保障」することなどの勧告を22年に出していますが、未だ改善されていません。
長くなりましたが、国旗についてはそもそもこうした問題があるということをまず指摘したいと思います。
その上で
- 請願理由にある「国旗は我が国の象徴として、国民の統合と誇りを表すもの」と書かれていますが、憲法第一条に位置付けられた「国民の統合の象徴」は天皇であって、国旗ではありません。
- 市内小中学校で「次代を担う子どもたちに対する教育の一環として、郷土愛や公共心を育むうえで意義ある取り組みがなされている」と書かれていますが、文科省によると「学校における国旗・国歌の指導は,児童生徒に我が国の国旗・国歌の意義を理解させ,これを尊重する態度を育てるとともに,諸外国の国旗・国歌も同様に尊重する態度を育てるために」行っているのであり、郷土愛や公共心の育成ではありません。
- 「市議会の議場においては、現在国旗及び市旗が掲揚されていない」とありますが、憲法に保障された、国から独立した団体である地方自治の議場に何故国旗の掲揚が必要なのか、根拠が不明です。
- 「国と地域を象徴する旗を掲げることは、公共性と責任ある自治の姿勢を内外に示す象徴的行為」と書かれていますが、論拠が不明です。
- 「国旗や市旗の掲揚は、市民の結束と誇りを表現するものであり」との論拠も不明です。
- 「地方自治体においても積極的に行われるべきもの」と書かれていますが、先ほども述べた通り国旗国歌法成立時の小渕元首相の談話の通り、強制されるものではありません。
- 「その意義について市民に啓発」するのは誰に求めているのでしょう。市議会はその立場にはありません。誰に具体的に何が求められているのか、不明です。
- 2日の本会議での提案時に様々な質問をさせていただきましたが、的確で根拠のある答弁は全くありませんでした。請願者と一緒に最初からつくり上げた請願文とのことでしたが、紹介議員が願意の説明さえできないような請願を良しとすることはできません。
以上を指摘し、反対討論といたしました。
今、我が家の庭の紫陽花が満開です。
