サイレント・フォールアウト
先週の話になりますが、映画『サイレント・フォールアウト』を観てきました。
川越市の「映画をみる会」さんの企画で、なんとこの上映は82回目の上映会とのことです。息のの長い取り組みに脱帽です。

アメリカは核実験により101個の原爆を落とされた国。
1951年、ネバダ州のネバダ砂漠に核実験場が作られ、その広さは日本の鳥取県全域に該当するそうです。
そこで核実験が繰り返され、風下にあたるソルトレイクでは乳がん・骨がん・白血病・甲状腺がんなどが多発。
セントジョージは更に深刻で、実験の見物に行っていた人々が次々にがんで死んでいったそうです。
政府は「危険はない」「気にするな」と繰り返し、セントジョージの住民には何らかの保証がありましたが、ソルトレイクの住民は対象外。
ネバダ州の実験は大気圏で100回、アンダーザグラウンドで828回にも亘って行われ、放射性物質は3700km離れたニューヨークにも届いていたとのこと。
そのほとんどがアメリカ大陸を縦断する形で、雨や雪となって降り注ぎ、ストロンチウムが若い細胞の中に取り込まれていった・・・。とてつもなく恐ろしい話でした。
昨年9月の日本母親大会記念講演で、第五福竜丸展示館学芸員、安田和也さんのお話を聞きました。ネバダ州の実験で作られた核兵器にアメリカは「ブラボー」と命名。
元米兵のジョン・スミダーマンさんはビキニ岩礁での核実験に立ち会い、その後の体調不良の原因を核実験ではないかと疑いましたが、米軍は認めず。
1982年原水爆禁止世界大会に来訪した時は両脚切断、左上肢はリンパ浮腫でパンパンに腫れ上がっている状態で、広島・長崎で治療にあたった医師の診察を求めました。
埼玉協同病院の肥田俊太郎先生(故)の診察を受け、丁寧なレクチャーを受けて帰国したとのお話でした。
映画は安田さんのお話をまざまざと思い起こさせました。
戦争も人の命を命とも思わない行為だと思いますが、兵器の開発そのものが既に人の命を蔑ろにして平気な行為なのだと改めて感じさせられた映画でした。