二つの国策に翻弄された父母への思いトーク&上映会

2025年06月20日

看護学校に入学して間もないころ担任の教員から、クラス全員で何かテーマを決めて3年かけて研究をするようにと指示されました。その時私たちが選んだのは、ハンセン氏病でした。
研究というよりも「学び」に近かったように思いますが、3年間私たちは少しずつハンセン氏病の方々が置かれている状況や社会的問題について学び、研修旅行先は国立駿河療養所を選びました。
その後もハンセン氏病については大きな社会問題にもなってきたので、機会があれば今も学び続けています。

今日はハンセン氏病の両親のもとに生まれ、沖縄で暮らし、基地問題に取り組む奥間政則さんの上映会&トーク「二つの国策差別に翻弄された父母への思い 奥間政則 ~ハンセン病差別・琉球弧の軍事化拡大~」に参加しました。

ハンセン氏病の話は知らなかったこともたくさんありました。
ハンセン氏病は1931年の「癩予防法」により、全ての患者は死ぬまで療養所に閉じ込められる政策が推し進められました。
「救癩思想」-この子たちを救ってあげたい=この子たちは産まれない方が良いという優性思想と結びつき、ハンセン氏病患者さんたちは結婚は認められても子どもを産むことは認められませんでした。
しかし奥間さんは1965年、奄美大島の和光園でハンセン氏病の両親のもとに生まれました。
何故生まれることができたのかと言えば、敗戦により奄美大島はアメリカの統治下におかれ、日本の法律の枠組みの中にはなかったこと。
そして戦後和光園にやってきたイギリス人の神父が、「両親が癩なら子どもも癩などということは絶対にない」「命はどんな命も同じ。できた子どもは産ませなくてはいけない」「責任は私がとる」と考えていたからだそうです。私はそんな風にハンセン氏病患者さんの出産を前向きにとらえていた施設の存在を全く知らなかったので、びっくりしました。
ただハンセン氏病が感染症であり、しかも極めて感染力が弱い病気だということが分かったのは1870年代でした。
にもかかわらずハンセン氏病患者を隔離し、逃げることの許されない環境下に置き、虐げてきた歴史は絶対に許されるものではありません。

また一緒に参加した方のお話しから、「ハンセン氏病患者の子どもだから産ませない」という考え方と「できた子どもは産ませなくてはいけない」という考え方はどちらも当事者が不在で、妊娠・出産の問題を「国」も「神」もコントロールする立場にはない、そこに思いを馳せなきゃいけないということも学びました。

今日のもう一つのお話は基地問題でした。2017年に辺野古と宮古島に行き、基地建設の現場を見て、建設反対の座り込みなどをしたことを思い出しました。
宮古島の基地はもうすっかり完成したどころか、軍事拠点になっている事実に驚きます。