黒い犬『犬の観覧車』
黒い犬『犬の観覧車』(作:くるみざわしん、演出:笠井友仁、舞台美術・映像:サカイヒロト)を観ました。

会場のど真ん中に、鉄骨(?)仕立ての大きな観覧車が設置され、それがこの芝居の舞台。客席は犬席と人席に分けられ、犬席は観覧車の真下でかぶりつきで、まさに「犬の気持ち」になって芝居に巻き込まれていくような座席に。
そして人席は、犬たちの会話をちょっと距離をとって客観的にみられるような設定。
こうした舞台の作り方自体が、なんだかとっても面白いと思いました。私は犬席で、舞台の真下からかぶりつきで70分のお芝居を楽しませていただきました。
人間が去った犬の町での犬たちの会話。
私は、3.11の福島第一原発事故で愛犬を連れだす間もなく強制退去を求められ、置き去りにされた犬たちを想像してしまいました。
置き去りにされた犬たちは何を考え、どんな気持ちで生きていたのでしょう。
我が家のチャッピーを見ているといつでも私を信じ切っていて、おまけにいつでも私の顔色を見ながら生きています。ごはんが欲しい時も、おやつが欲しい時も、私とまったりしたい時も、ボールで遊んで欲しい時も絶対に私の様子を伺っていて、私が期待に応えるととっても嬉しそうにはしゃいでいます。
可愛いし愛おしいのですが、同時に罪悪感を覚えます。
人間の暮らしという檻の中に閉じ込め、人間の都合に合わせて生きるように飼いならしているというか、犬の自由は奪っているというか。
三浦しをんさんの『舟を編む』の書き出しは、記憶違いかもしれませんが確か「犬」の意味だったと記憶しています。
愛玩動物でありながら、「鼻が効く」とか「警察の犬」とかスパイとか、決して良くは使われない言葉であったり、「犬死に」なんて言葉は無駄な死を意味していたり、「犬侍」というのは人を馬鹿にした言葉でもあり。確かそんな書き出しだったと思います。
観覧車で会話する犬たちの人生ならぬ犬生がとても気になる舞台でした。
人間を信じて探し求める姿は、とても切なく苦しく感じました。
本当は人間も犬も、ちゃんと自立して生きる力を持っているでしょうに。