『もしも魔法が使えたら~戦争孤児11人の記憶』
『もしも魔法が使えたら~戦争孤児11人の記憶』(星野光世著 講談社)を読みました。

今月2日に開催された吉川市戦没者追悼式・平和のつどいで紹介された、孤児たちの体験談をまとめた一冊です。
数年前だったと思いますが、NHKスペシャルで「❝駅の子❞の闘い~語り始めた戦争孤児」という番組が放映されていました。戦争で親を失い、行き場をなくした子どもたちが駅に集まり、「浮浪児」「ゴミ」として扱われたこと。親を失って非常に心細い思いをしている時に、誰も助けてくれなかったこと。それどころか「刈り込み」で収容施設に入れられ、更に人間らしさを失うような扱いを受けたこと。そんなことが描かれたドキュメンタリー番組だったと記憶していますが、まさに同じような事実が体験談として一冊の本にまとめられています。
そもそも、何故親を失わなければならなかったのか。アメリカの空襲で親や兄弟姉妹を失った子どもたちが親せきや祖父母からも邪魔者扱いされ、学校にも行かせてもらえず、ただただ必死に生きなければならなかった事実。
この子たちは国からも自治体からも、恐らく何の支援も受けられなかったのだと思います。
ひたすら努力をして自立の道を探し続けて・・・。
結婚相手にすら「戦争孤児だった」とは言えなかったとも。
戦争がいかにひどいものであるか、改めて私たちに伝えてくれる一冊だと思います。
私は孫たちが大好きで、孫たちのために何でもしたいと思いながら毎日を過ごしています。姪っ子や甥っ子も大好きです。そういう気持ちは多分多くの人が持っていて、今の人も昔の人も変わらない気持ちじゃないかと思います。でも戦時中から終戦後暫くの間はとにかく食べるものがなかった。
だから、いつも一緒に暮らしている家族ではない孫や甥っ子姪っ子にまで食事を分け与えるゆとりがない。
だから親が亡くなって頼ってきた孫や甥っ子・姪っ子は単なる厄介者になってしまい、冷たくしても良い存在となってしまう。
戦争さえなかったら、当たり前に食事ができる時代だったら、きっとそんな鬼のような心は芽生えなかったに違いありません。
とっても悲しい事実です。
でも、そういうこともまた直視しないといけないのだと思います。