八月や 六日 九日 十五日
「8月や 六日 九日 十五日」は、今日始まった第43回議員の学校の冒頭、学校長の池上洋通さんが紹介した俳句です。
なんて凄い俳句でしょう!
たったこれだけの言の葉が紡ぎ出すものがとても大きく、心打たれました。
じりじりと照り付ける太陽。真っ青な空と白い雲。
その日差しを受け、光り輝きながら風にそよぐ穂波。
流れ出る汗。
子どもたちの片手には、たも。そして胸元に斜め掛けした虫かご。
騒然と響き渡るセミの声。
咲き誇るひまわり。
夜空に映える花火。
そうした夏ならではの風景と必ずセットで、8月と言えば戦争を想起しないわけにはいきません。
繰り返される空襲や飢えと戦う、死と隣り合わせの庶民の暮らし。
無駄に命を落としたたくさんの兵士。
大日本帝国の名のもとに繰り返された、アジア諸国の人々に対する残虐な行為。
治安維持法のもとに葬り去られた「戦争反対」「民主主義」を求める声。
従軍慰安婦、満州、731部隊・・・。そして、ヒロシマ・ナガサキへの原爆投下。
敗戦、玉音放送。
本当に多くの犠牲の上に、ようやく切り拓かれた平和と民主主義への道。
8月になると、私たちは必ずこうしたテレビ番組や新聞・週刊誌などでの報道、そして映画などで敗戦と民主主義・平和を学んできました。
私たち日本人にとって、決して忘れてはならない8月6日、9日、15日。
たったこれだけの句が、一瞬のうちにこんなにもたくさんのことを想起させてくれます。
平和への願いがはっきりと込められていて、力強い俳句だと感じます。
開校のあいさつでは、池上先生はオリンピックにも触れました。
今回のオリンピックは、気が重いことがたくさんあります。
選手のみなさんも辛い気持ちだと思います。
それにしても、金メダルの獲得数やメダルをとった者だけが称えられるような風潮が年々強まってきてはいないでしょうか。
「スポーツ」の語源はラテン語の「deportare」(デポルターレ)で、「娯楽」「楽しむ」といった意味。
その時間を共有することで仲間意識を高める、その程度の意味合いの言葉。
では、今の成績主義はどこで植え付けられたものなのか?
パラリンピックも、障がいを持つ選手たちが懸命にやっていること自体に意味があり、順位をつけることの意味は何なのか?
こうした成績主義はスポーツの世界にとどまらず、学校教育や政治、選挙にも決して良い影響を与えてはいないのではないか・・・。
私たちはもう一度立ちどまって、しっかりと考えてみる必要があるのではないでしょうか。
そんなお話だったと思います。
池上先生のお話には、いつも深く考えさせられます。