映画『満天の星』

2025年10月03日

映画『満天の星』を観ました。

昨年の「平和のための吉川・戦争展」と吉川市の平和のつどいでご講演くださった、吉川市出身の俳優の寿大聡さんと葦澤恒さんがつくられた映画です。

1944年、敗戦色が色濃く、沖縄での本土決戦が現実みを帯びてきたとき、子どもやお年寄りは足手まといになると本州への疎開が促進されました。
8月21日、沖縄の学童1,514名を含め約1,700人が乗船していた学童疎開船対馬丸は、長崎に向けて那覇を出港しました。出港したその夜、悪石島近海で対馬丸はアメリカの潜水艦ボーフィン号の爆撃を受け、沈没。1,484名が死亡、学童の死亡率はなんと93%だったという、民間人を襲撃した恐るべき戦時下の事件でした。
しかし「戦意を削ぐ」との軍側の身勝手な判断で生存者には箝口令が敷かれ、事件はひた隠しにされました。

寿大聡さんのお祖父さんは17歳の時に乗り組み員として対馬丸に乗船し、奇跡的に生き残った方でした。そして吉川に在住されていました。
戦後何十年も経ってから中島さんは対馬丸事件を語り始め、事件の語り部でした。

寿大さんは中学2年生の時に夏休みの宿題のためにお祖父さんから事件の話を聞き、3つの疑問を抱きました。
❶アメリカの潜水艦は、対馬丸に学童がたくさん乗っていた事実を知っていたのか?
❷対馬丸には護衛船が2艘ついていたのに、爆撃を受けると助けることなくスッと逃げてしまった。それは何故な  のか?
❸これだけ多くの被害を出しながら、対馬丸事件があまり知られていないのは何故か?

大学卒業後に入塾した「無名塾」で、師匠の仲代達也さんが「表現者として、戦争に関わる作品を作るのは義務だ」と常々語っていたこともあり、寿大さんは対馬丸事件を描くことを温め続け、そしてできたのが映画『満天の星』とのことです。

・・・ここまでは昨年の戦争展と平和のつどいでお聞きした話ですが、映画を観て、この3つの疑問が解明され、とてもスッキリしました。
お祖父さんの中島高雄さんが対馬丸を語っている場面も映し出されています。
同じ市内に、こんな方がいたとは全く知りませんでした。
できればご存命中にお話を聞いてみたかったと思いました。
そして、お祖父さんの話をどう語り継いでいくのかと誠実に悩む寿大さんの姿もとても印象的でした。
昨年の講演で、小中学校での上映などにも取り組んでいきたいと寿大さんはおっしゃっていたと思いますが、ぜひ実現していただけたらと思いました。
多くの人に観ていただき、事実を知っていただきたいと思いました。

この頃、この平和な社会がいつまで続くのだろうと非常に不安でなりません。だからこそ、ぜひ観ていただきたい映画だと思いました。