「一九一四大非常」
劇団桟敷童子の「一九一四大非常」(サジキドウジ作)を観に行ってきました。

第一次世界大戦による軍需景気にわいていた1914年、筑豊炭田の方城炭鉱で起きた大非常(大事故)を描いた作品です。舞台装置が素晴らしく、迫力満点、見応えのある素晴らしい作品でした。
この事故での死者数を会社(三菱合資会社)は671人と発表していますが、実際には1,000人を超えていたと地元では噂されています。しかし死者数が1,000人を超えると閉山しなくては行けなくなってしまうので、会社は671人の発表でとどめたというか、それ以上の捜索をしませんでした。
この事故で働き手を失って路頭に迷う家族の多さもさることながら、両親を失った子どもも数知れず。亡くなったことがはっきりしている家庭には1年数か月分の給与が賠償金?補償金?として支払われたそうですが、家族がその後生きていくにはあまりにも不十分でした。
事故で亡くなった人々の骨を踏みつけ、また事故の影響で様々な苦しみに見舞われた人びとの骨を踏みつけ、私たちは生きている・・・。
筑豊炭田の特徴の一つは炭鉱夫に女性がとても多かったことだったそうです。
女性を炭鉱夫に雇えば夫ややがてはその子どもなど、働き手の確保に困らない。
そして女性たちは臨月になっても働き続け、坑内で出産することも・・・。
出産後も託児所に預けるとお金がかかってしまうので、生まれて間もない子どもを背負いながら働き続け・・・。
産休も育休も労災もない時代の話です。
事故の発生はその日のうちに天皇の耳に入り、天皇の勅使が派遣されることになりました。
まちでは天皇の勅使に無礼があってはならないと、貧しい工夫の子どもたちに見栄えの良い恰好をして登校するようにと求めたり、事故でてんやわんやとしているのに町の掃除が求められたり、事故の現実を直視してもらわなくてはならないのに、町民には全く逆のことが求められΣ(・ω・ノ)ノ!
勅使が来た時には冷たい霙が降っていたのに、子どもたちは傘をさすことすらできずΣ(・ω・ノ)ノ!
そして子どもたちに与えられたのは、消しゴム付きの鉛筆1本Σ(・ω・ノ)ノ!
そういう矛盾までが力強く描かれていました。
