「学びの会」に参加して、ふと高校時代を思い出しました

2026年01月17日

私が卒業した高校は地元密着型というか、ほとんどが地元の人ばかりの高校で、外から入学する人は稀でした。
1学年220人だったと思いますが、様々な交流でお互いに子どもの頃からの知り合いのようでした。

その高校に私は少々の理由があって、伯母と二人で暮らすために進学しました。なぜ私がわざわざ遠い街からその学校に越境入学をしたのか、誰にも十分な説明をすることができず、以前からの知り合いもなく、3年間ずっとどこかに居心地の悪さを感じながら過ごしました。
ただ私たちのクラスは3年間ほとんどクラス替えがなかったので、一緒に3年間過ごす中で大切な友達ができたことも事実でした。

その学校には「集団規律」という授業(?)がありました。
入学して間もないころ第一回目が開催され、授業と授業の合間の10分間で教室から更衣室へと思いっきり走り、着替えてグラウンドにクラスごとにピシッと整列しなければなりません。
それから「右向け右」とか「左向け左」とか「回れ右」とか号令をかけられて、一糸乱れぬようにそれをしなくてはなりません。更には「前に進め」とか「全体止まれ」とかの号令に合わせて、これまた一糸乱れぬように動かなくてはなりません。1年生にはとても難しく、何度も何度も繰り返えされたことを今でもはっきりと覚えています。
上手くみんなと合わせられない生徒は先生から殴られたりもしていました。
今はこんなことをしている学校はないと思いますが。
クラスの中の誰かが「軍隊みたい」だと言い、何のためにこんなことをするのか、私たちは疑問を持つようになっていきました。その他にも校門での服装チェックとか、とても嫌でした。
何をしても見逃される生徒と、ちょっとしたことで厳しくされる生徒とが分け隔てられているように感じていたのでした。そういうことが私の居心地の悪さに拍車をかけていたようにも思います。

先輩後輩の関係もとても厳しく、通学のバスや電車の中で1~2年生が座っていたら先輩が怖く、それが先生から「いまだにあそこから自転車で通った女子はいない」と言われながら、多分1時間以上の時間をかけて山道坂道暗い道を自転車で通い続けた理由だった気がします。
私たちは確か3年生の時だったと思いますが、模造紙に「こういう生徒指導はおかしい、やめろ」というようなことを書き込んで、職員室に交渉に行きました。それから放送室を占拠(?)して、「こんなのはおかしい」と訴えたこともありました。
あの時誰がリーダーだったのか、今では思い出せません。みんなが少しずつ疑問に思っていたことを行動に移したのだと思います。
高校生活3年間はどこか息苦しく、みんなと一生懸命に考えて行動して、どこか輝いていた3年間でもありました。

一昨日の話になってしまいましたが、市内にあるフリースクールつばささんが開催する「学びの会」に参加しました。
不登校経験者のお話を聞かせていただきました。
その方は中1から中2の終わりまで不登校だったそうです。そのきっかけは中学校の体育会系のノリだったそうです。廊下で部活の先輩とすれ違う時、必ず挨拶をしなくてはいけない。だから廊下を歩くときもいつも緊張して歩いている・・・。部活のコーチは「良い緊張感」を持って部活に臨むようにと教えたけれど、良い緊張感とはそういうことなのかどうか・・・。
部活も宿題も一生懸命やっていたけれど、1年生の夏休み明けに「もうがんばれない」と身体が先に反応して登校できなくなったとのお話でした。

お話しはもっともっと続きましたが、私はこのお話を聞いて私自身の高校生活を思い出しました。
あの頃の私は、伯母が出張でいない日などは自主休校をして自宅で読書をして一日過ごしていました。疲れ果てる前に自主休校する環境があったこと、そして同じような気持ちを抱く同級生がたくさんいて、それを互いに声に出し合い行動に繋がったことはとてもありがたいことだったと、今更ながら気が付きました。
もしかしたら、あの時も登校できない生徒がいたのかもしれません。
記憶しているのは、退学していく人が多いなぁと思ったことでした。もしかしたら、規律と規則と上下関係に厳しい教育と校風で居場所をなくしていたのかもしれません。
あの頃の自分に戻って、この目で確かめてみたいような気持になりました。