国立ハンセン療養所多摩全生園を見学しました

2026年02月11日

看護学校に入学してまだほんの間もないころに担任の先生から、クラスみんなで3年間かけて研究できるテーマを決めて取り組むようにと言われました。ひとりの学生が「ハンセン病」に取り組みたいと発言し、私たちは3年間ハンセン病に取り組むことになりました。
当時の私はあまり真面目な学生ではなく、その3年間で何を学んだのかあまり記憶にありません。
2年生の秋の研修旅行では静岡の国立ハンセン療養所に行ったことははっきりと記憶しています。そしてとてもアホなことに、緑が豊かでゆったりとした療養所の環境を見て、同級生と「案外良い所なんだね」などと話したことは鮮明な記憶です。
そんなアホな私ですが、ハンセン病に対する関心だけはその後もずっと心に残りました。

社会人になって松本清張の『砂の器』や遠藤周作の『私が棄てた女』、伊波敏雄さんの『花に遭わん』などを読み、近年では『あん』という映画を観て、あの3年間で私が学ぶべきだったことは何かということに今更ながら気づき、そして今更ながら愚かだった自分を恥ずかしく思いました。

少し前の話になってしまいましたが、多摩住民自治研究所の企画で多摩全生園の見学会に参加しました。
案内してくださったのは元小学校教員で国立ハンセン病資料館運営委員の佐久間建さんでした。佐久間さんは30年前に全生園のすぐ近くの小学校に赴任したことをきっかけに、ハンセン病の授業を通して差別や人権問題に取り組んできた方とのことです。
なんと、佐久間さんの一番最初の教え子の方もこの見学会に参加されていました。

写真を撮ることができませんでしたがハンセン病差別の象徴として、患者の逃走を防止するため、患者さん自身に作業を敷いて2メートルもの土塁で施設を囲んでいたことや、高さ4メートルで距離は何メートルにも亘るヒイラギの垣根で街との境界を仕切っていたこと。全生園には映写機があり、ハンセン病患者さんたちは施設の外に映画を観に行くことさえ許されなかったということ。
また万が一の火事の際にも地元の消防団は駆けつけてくれないので、施設の中には昔ながらの消防一式が揃えられていたというのもオドロキの事実でした。

敷地の中に「望郷の丘」があり、これは土塁建設などの作業を強いられた患者さんたちが残った土などを積み上げて作った築山で、ヒイラギの垣根よりも高く、患者さんたちはこの丘に登って施設の外を眺め、故郷を偲んだとのこと。
因みに、その望郷の丘は30年前には既に市民に開放されていて、参加された佐久間さんの教え子さんは小学生の頃この丘を友だちとみんなで自転車で頂上まで登り、自転車でビュンビュン駆け降りるという遊びをしていたそうです。

敷地の中に慰霊塔があり、ハンセン病患者さんたちはこの施設の中に生涯閉じ込められ、死んでもなお迎えに来る家族は少なく、この敷地から出ることを許されなかったとのこと。
1948年にできた優生保護法では遺伝病ではないにも関わらずハンセン病も対象とされ、相当数の不妊手術(主に男性)と人工妊娠中絶が行われたとのこと。そして中絶された胎児標本が全国の施設で見つかり、全生園でも36体の標本が見つかったとのこと。
胎児を弔うため、「尊厳回復の碑」が建てられています。

多摩全生園は非常にみどりが豊かで、東村山市にあるので昔ながらの自然が残されているのだろうと思われがちですが、事実は違います。
全生園の木々は戦時中燃料不足のため全て伐採されました。今みどり豊かなのは1948年から入所者の寄付により植樹活動が行われてきたことや、83年から希望すれば一人5,000円で木々に自分の名前を付けることができる「一人一木運動」などに依るものです。
約35万平方メートルもの広大な敷地に約3万本の樹木と草花が生い茂り、ここで亡くなった一人ひとりの思いがこもったみどりです。
この森を「人権の森」として残そうという構想が今、進められているそうです。

驚いたのは重官房と洗濯場事件でした。
1916年に「癩予防ニ関する件」の施行規則が改訂され、懲戒検束規定が盛り込まれました。これによって療養所の言うことをきかない患者さんに処罰を与えることができるようになり、施設側の意に沿わない患者さんは「重官房」に送られました。
中でも全生園の「洗濯場事件」はとても有名とのことです。
ハンセン病患者さんたちは身体が冷えると神経症を起こしやすく、水を使う洗濯作業はとても辛い仕事でした。しかし患者さんたちに与えられているのは穴の開いた長靴で、そこから汚水が入り込み、足裏にできた傷を悪化させることがしばしば起きていたそうです。1941年、入所者で洗濯場主任だった山井通太さんは穴の開いていない長靴の支給を療養所に求めたところ、群馬県草津の栗生楽生園の重官房に妻と共に送られてしまい、間もなく亡くなってしまいました。
重官房も資料館に展示されていましたが、およそ人が暮らすところとは思えない暗闇の穴倉のような、とてもひどいところでした。

昨年、「人権教育・啓発に関する基本計画」が23年ぶりに改訂され、そこには人権課題として「ハンセン病患者・元患者及びその家族」が明記されました。
中学校では「ハンセン病の向こう側」というパンフが配られているそうです。しかしハンセン病に関する意識はハンセン療養所のある地域では高く、ない地域では乏しく、このパンフレットについては配っている側にも配られた中学生にもあまり意識に上っていないとのお話もありました。
埼玉県にもハンセン療養所はなく、意識の乏しい地域のひとつではないかと思われます。3月議会で市の取り組みについて確認しようと思いました。