『ハンセン病差別の歴史を旅する』

2026年02月13日

『ハンセン病の歴史を旅する 「救済」への問いかけ』(八木絹著 かもがわ出版)を読みました。

八木絹さんは、先日私が参加した多摩全生園見学会にも参加されていて、私は八木さんからこの本を直接購入して帰りました。
この本の冒頭にはこう書かれています。
「新型コロナウイルス感染症が世界的に拡大した2020年、感染者や医療従事者への激しいバッシングが怒ったことを覚えておられるでしょう。そのこと自体がコロナ禍での閉塞感を助長し、日本社会は今振り返っても異様な雰囲気に包まれました。日本と世界にはコロナ以前にも、ペストや結核など、さまざまな感染症が存在し、多くの人が亡くなり、感染者差別の問題も起こりました。中でもハンセン病に関しては、国を挙げての差別の長い歴史がありました。それを21世紀のこんにちでも繰り返していることに、私は恐怖を感じました」。
この本は、まさにこうした危機感にもとづいて書かれた本だと思います。

2023年12月、厚労省は一般の人を対象に初めて意識調査(有効回答2万916人)を行い、24年3月、「ハンセン病問題に関わる全国的な意識調査報告書」を発表しました。
それによると90%がハンセン病という病気の存在を知っているものの、感染症としてのハンセン病の医学的知識については正答できるほどは知らない。国による強制隔離政策についても、「知らない」か「あまり知らない」人が過半数を占める、という結果。
「現在、世の中にハンセン病元患者(回復者)やその家族に対する偏見や差別があると思う」と回答した人は39.6%。「自分自身は偏見や差別の意識を持っていないと思う」は64.6%。
ハンセン病回復者や家族が近所に住んだり、同じ職場・学校に通ったり病院を利用することに「抵抗がない」「抵抗が少ない」は54.2~61.9%。「やや抵抗を感じる」「とても抵抗を感じる」は7.5~9.6%。
身体接触や同じ風呂に入ること、ハンセン病回復者の家族と自分の家族が結婚することについては「やや抵抗を感じる」「とても抵抗を感じる」は18.5~21.8%へと増えているとのこと。
ハンセン病問題の学習を「受けたことがない」人は55.4%。「覚えていない」が27.1%。学校や職場などで学習経験がある人は22.2%に留まっています。
「ハンセン病回復者やその家族に会ったことがある」「ハンセン病問題に取り組んでいる人と会ったことがある」「ハンセン病療養所に行ったことがある」という人はいずれも1.5~3.4%とごく少数。

中世ヨーロッパでは、カトリック教会と聖公会の聖人であるイタリアの神学者トマス・アクィナスが『神学大全』に、「らい病の汚れは異端的な教えの汚れを表示する者である。なぜかと言えば異端的な教えは、らい病と同じく伝染的だからである」と、ハンセン病と異端を同様に「汚れたもの」として扱い、徹底的に排除していたそうです。
日本では仏教の普及とともにハンセン病は前世に犯した罪に対して与えられた罰であるという考えが広がり、「天刑病」(点が罰として与えた病気)、「業病」(前世での悪事のために罹った病気)と呼ばれるようになりました。

日本のハンセン病政策は「絶対隔離政策」。
明治に入り日本に伝道にやってきた宣教師たちは、劣悪な環境下で暮らすハンセン病患者の実態を目の当たりにして「救済」の必要性を感じ、全国に5カ所の私立療養所をつくりました。
一方明治政府は欧米列強のような「一等国」を目指し、ハンセン病を克服しつつあるヨーロッパに対して日本には3万人以上もの患者がいることを「恥」と考えていました。
1907年に「癩予防ニ関スル件」をつくり、浮浪患者の隔離をはじめました。そしてその隔離政策は、「絶海の孤島に送って逃走の念を断つのが良い」と絶海の孤島への隔離構想まで検討されるようになっていきました。
患者の収容強化のため、1930年~40年代は「無らい県運動」が行われ、文字通りハンセン病患者がいない県にしようと国が主導し、県どうしを競わせ、役所と療養所・住民が一体となって取り組まれました。
戦後に開設した駿河療養所を除く12園のうち10園で、1941年~47年で最も死亡率が高いのは1945年。戦争が激しくなるにつれ、死亡率が高まる傾向がありました。
中でも1945年が突出して高いのが沖縄県の宮古南静園。米軍の空爆により円の施設がほとんど壊滅状態に陥り、職員は現場放棄し、在園者は近隣部落の海岸付近などで避難壕生活を送り、極度の栄養失調と各種疾病の悪化を障子、とりわけマラリアに罹患して病死する場合が多かったとのこと。空襲を受けても療養所から脱出することは許されず、疎開については検討すらされていなかったとのこと。

1931年の「癩病予防法」、1953年の「らい予防法」を根拠に患者を生涯にわたり療養所に隔離して、断種・堕胎・嬰児殺を伴って、絶滅させることを目指す政策でした。
優生保護法が施行されたのは1948年でしたが、ハンセン病患者さんたちはこの法律ができる遙か以前の1910年代から不妊手術を強制されていました。
ハンセン病患者は「社会的低格者」で「民族の衰退を促す」とされ、国家が生殖に介入してでも「発生予防すべき」と考えられていました。遺伝病でないハンセン病の患者に断種手術をすることが正当かどうかの検討はされず、その理由は「ハンセン病患者の子が社会生活を営むのが困難で、悲惨な状況になるから」という点と、ハンセン病に罹りやすい体質の遺伝を防止する点に求められたとのことです。
優生保護法でも「本人または配偶者が癩疾患に罹り、且つ子孫にこれが伝染する虞のあるもの」として、遺伝病でないハンセン病を追加し、同じ理由で人工妊娠中絶も認めました。
1996年にらい病予防法と優生保護法が廃止されるまで、ハンセン病路理由とする男女の不妊手術は1551件、人工妊娠中絶は7696件行われました。

各療養所には死亡した患者・回復者を解剖して摘出した臓器が保管されていました。その数は2000体超。長島愛生園と邑久光明園の1980年ころまでの解剖遺体数は死亡者の90%以上に達していたとのことです。死亡したら解剖、解剖したらとりあえず標本という図式が定着し、患者を正に材料としか見ない、人間としての尊厳を認めない視点が示されています。

「ハンセン病に対する差別意識は薄れているように見えます。しかしハンセン病に対する差別的意識を持つ人は、高齢になっているかもしれませんがまだこの社会で、若い人たちとも家族として繋がっているかもしれません。それが有形無形の影響を与えているわけで、「知らない」からと言って差別する心から自由だとは限らないのです。そこから自由になるためにはハンセン病差別の歴史を知ることと、回復者の人生を知ることではないかと感じています」との結び。とても説得力がありました。良い本を読みました。